「おむつぐみ」(58)
Added 2020-04-27 11:56:17 +0000 UTC幼稚園の前で撮影された、「面接」の日の写真。 それを見ていると、とうぜん湧き上がる羞恥の感情とともに、不退転の意志がよみがえってくる。 (恥ずかしいけど――もう今さら、引き返すことはできない) (あの日、ぼくは幼稚園で「面接」を受けて、「入園願」にサインして) (一年間、「おむつ組」の園児として生活する約束をしたんだから――) * ――私立陸奥学園は、市内の一角に大学から幼稚園、学生寮、さらにはちょっとしたショッピングエリアまでが併設された、一個の学園都市のような構造になっている。 附属女子幼稚園があるのは、東側の一角だ。 この日、幼稚園の来客用の駐車場に一台の車が隅のほうに停車して、中から倉石親子が降り立った。 「じゃ、支度はいいわね?」 「う、うん……」 「面接」と言うことで制服ではなく、お受験フォーマルスーツ――風のブラウスと、紺のだるまロンパースのセットを着せられた和実は、小さくうなずいた。ロンパースの短いフリルの下からは、布おむつを10枚当てて膨らんだ下半身が覗いている。 赤ちゃんのように剃りあげた頭には、ロンパースとおそろいの紺のベビーボンネットをかぶり、背中には大きめの、ピンクの女児用リュックを背負っている。この中には「おむつ組」の制服とともに、今日の受験で必要なものが、一通り入っていた。 (いよいよ面接……ああ、ドキドキする……!) (いったいどんな試験が出るんだろう……もし、不合格になっちゃったら……) すでに心臓は、バクバクと破裂しそうなほどに高鳴っていた。「おむつ組」の制服で駅前に出かけた昨日に比べればはるかにましとはいえ、やはり恥ずかしいことに変わりはないし、合格できるかどうかも不安だった。 まずは駐車場から幼稚園の敷地に入るため、警備員のいるゲートの前を通る。 名前と要件を告げると、若い警備員は和実に遠慮のない視線を向けながら、 「附属女子幼稚園の面接予定者、倉石和実ちゃん。並びに、保護者の静子さまですね。はい、確かに窺っておりますので、どうぞお入りください」 「はい、ありがとうございます」 「あ、ありがとう、ございます!」 母親に倣って和実も、警備員にお礼を言って頭を下げる。こうした細かい部分も受験には大事――分かってはいるものの、それが幼稚園の面接となると話は別だ。しかも、 「う……」 ゲートを通り過ぎて幼稚園に向かう間も、背後から警備員がじっと見つめているのが判った。もう中高生くらいの年齢なのに、ベビー服を着て、幼稚園の面接を受ける少年のことを訝っているのだろう。 しかも――本当は、男子なのに。 「はぁ……」 ため息をつきながら歩くうち、すぐに目の前に幼稚園が見えてきた。 幼稚園の敷地としては、かなり広く、一般的な小学校ほどはあった。二階建ての園舎に、小さなトラックと、遊具が並ぶ園庭。背後には体育館と、プールまで併設されている。午前中のいまは勉強の時間なのか、園児たちは園庭にでていないことに、和実は胸をなでおろす。 代わりに正面の門から園に入ると、 「いらっしゃい、和実ちゃん。お母様も、ご足労ありがとうございます」 低く艶っぽい声と共に、園舎の入り口から保育士の水無瀬貴子が現れ、にったりと笑う。今日は長い髪を後ろで団子にまとめ、地味な緑ジャージの上下にエプロンをつけた、いかにも地味な保育士のいでたちだったが、エキゾチックな美貌とスタイルの良さは隠しきれていなかった。 もっとも、和実はそんな「お姉さん」に見とれるような余裕はなく、丁寧にお辞儀して、 「お、おはようございます、水無瀬先生。今日は面接、よろしくお願いします!」 「今日も可愛いわね、和実ちゃん。ちゃんとご挨拶できて、えらいわよ」 貴子はそう言って、ベビーボンネットの上から和実の頭を撫でる。 幼稚園受験生のような扱いをされる羞恥と、頭を撫でられるむずがゆさに、和実はますます真っ赤になった。 「ふふっ……ではこちらの準備はできていますので、どうぞこちらから、園舎にお入りください」 「ありがとう、水無瀬さん」 「あ、ありがとうございます、水無瀬先生」 貴子の先導で、園庭を通って来客用の入口へ。 女児用のフォーマルシューズから、持ってきた上履きへと履き替えて、廊下を通り、階段へと向かう。チラリと横を見ると、ガラスの向こうの教室で、園児たちが真面目な顔で英会話したり、歌を歌ったり、ひらがなを習ったりしているところだった。いずれも当然、幼稚園の制服――和実の「制服」と似た、しかしずっと本来の幼稚園児らしいスカートの制服を着ている。 (ぼくもこれから一年間、あの子たちと一緒に――いや、あの子たちよりもさらに年少の園児として、お勉強をすることになるんだ……) (しかもあの子たちよりもっと幼い、ベビー服みたいな「制服」を着て――) 考えただけで、ぞくっと背筋が寒くなる。 (やっぱり、この選択は間違いだったんじゃ……1年間、バイトしながら勉強して、別の高校を目指したほうが……) 事ここに及んで、迷いが生じる和実。 思わず立ち止まりそうになった、その時――教室から廊下を見ていた少女と、ふと目が合った。 (続く)