「おむつぐみ」(57)
Added 2020-04-26 10:39:51 +0000 UTCほぼ一週間前、この制服が届いた日から始まった「おむつ組」としての生活。 それは何も、幼稚園でばかりではなく―― (家の中でまで、赤ちゃんになりきらないといけないなんて……) おしゃぶりを噛みながら、今いる部屋を見回す。 パステルピンクに花柄の壁紙が可愛らしい、いかにもな「ベビールーム」。部屋の中央には、和実が寝ても大丈夫なほど大きなベビーベッドが置かれ、真上にはメリーサークルが吊るされている。クローゼットやキャビネットのような調度品も、白く曲線的なデザインが可愛らしいと同時に、ぶつかってけがをしないように配慮されたベビー仕様だ。隅には柵で囲われたプレイスペースもあり、知育玩具や積み木、着せ替えぐるみなどが置かれていた。 まるで女の子の赤ちゃんのためにしつらえられたような部屋だが、ここは自宅二階――それも和実の自室の、すぐ隣にある部屋だった。 母親が開かずの間にしながらこっそり改装したもので、本来ならばずっと知らず、使われないままだっただろう「ベビールーム」。しかし和実が「おむつ組」に編入されたのを機に、和実の部屋として使うことになったのだ。さらにベビーベッドすらも、幼稚園が手配した大人用のものに交換して、すっかり「かずみちゃんのへや」だ。逆に今では元の部屋が、鍵を掛けられて開かずの間にされてしまっている。 それに合わせてクローゼットの中も、和実サイズのベビー服に入れ替えられていた。 水色の、アリス風ブルマードレス。 淡いピンクの、うさぎ着ぐるみロンパース。 レース襟のブラウスに、真っ赤なハートジャンパースカートのセット。 タンポポ色の、ふんわりとしたジョーゼットのベビードレス。 部屋着用のロンパースに、よだれかけやミトンなどの小物類、そして色柄もバラエティに富んだ布おむつカバーの数々に、大量の布おむつ―― いずれも「おむつ組」園児が普段着にするように指定された、和実サイズの衣類である。これらの服を買いそろえた翌日から、母親や、裏に住む佐々木楓子、訪ねてくる藤原千代などによって次々と着せ変えられて、ほとんどすべての服に一通り袖を通している。その証拠として――部屋の壁のあちこちに、後が残らないタイプのテープで、ここ一週間で撮影されたベビー姿の和実の写真が貼られていた。 (何もここまですることはないのに――) 家の中くらいこっそりいつも通りの生活を送りたい和実だったが、女児服ベビー服大好きな母親がこれ幸いとばかりに幼稚園に全面協力した結果、家の中でさえ、「おむつ組」としての生活からは逃れられなくなってしまった。 いまの「着替え」も、その一環である。 本当なら和実一人でも着替えくらいできるのだが、「おむつ組の園児は一人で着替えてはいけない、必ず誰かに着替えさせてもらうこと」という規則のせいで、母親に着替えさせてもらっていたのだ。 (まぁ、着替えくらいならまだ……恥ずかしいけど、まだ、マシなんだけど……) 一人でしてはいけないのは、着替えだけにとどまらない。 食事――これも誰かに食べさせてもらわなければならず、しかも離乳食限定。月齢が指定されなかったのが唯一の救いだが、歯ごたえのない、薄味の離乳食を、食べさせられるのは、いろいろな意味で耐えがたい試練だった。当然のように食事中はよだれかけ、もしくは食事エプロンをつけるため、本当に赤ちゃんになってしまったかのような錯覚と、少年としての羞恥心とがせめぎ合う羽目になる。 排泄――トイレ禁止で、大小問わずおむつの中にするように言われている。しかも小さいほうは二時間おきと決まっているため、我慢してやり過ごすこともできないし、便秘防止に水分も多めに摂るよう言われていて、「出ない」とごまかすこともできなかった。交換ももちろん自分でするのは禁止のため、二重の辱めだ。特に大きいほうは異臭がすごく、交換させている後ろめたさと申し訳なさのせいで、その相手――主に母親、一度は千代や楓子にまで――に逆らえない気持ちがいよいよ強くなっていった。 外出――もちろん一人では出かけることを許されていない。というか、ベビー服から着替えられない以上、本当なら外になど出たくもないのだが、これまた幼稚園から「園がない日も、天気がいい日はお散歩すること」と言われているため、近所の公園や河原まで、ベビー服姿で出かけることになる。ご近所ではもうすっかり有名になっているため、通報されたり、怒られたりすることはなかったが、笑われたり、驚かれたり、写真を取られたりはするので、晴れた空に反して心が曇ってしまう。公園では、近所に住んでいる同じ幼稚園の女の子、早苗と香織「お姉ちゃん」に、ブランコや滑り台で一緒に遊んでもらうこともあった。 これらの合間の自由な時間も、与えられるのは「赤ちゃんとしての」自由である。ゲームも、読書も、勉強すらもできず、ベビールームのプレイスペースでお人形遊びをしたり、知育玩具で遊んだり、着せ替えぐるみを着せ変えたり――そんな赤ちゃんとしての遊びしか、許されていない。リビングに下りて児童向け番組を見るのが、もはや数少ない楽しみになっていた。 特に日曜朝の女児向けアニメは、恥ずかしいと判っていながらも夢中になって見てしまうほどで、様子を見にやってくる千代や楓子からも、 「ふふっ、和実ちゃんはプリキュア、大好きなのね」 「今度、プリキュアの衣装も用意してあげるわね」 と揶揄われる始末だった。 ――これが、15歳の少年である倉石和実の、現在の生活だった。 制服が届いたのが一週間前。翌日に保育士である水無瀬貴子の案内のもと「おむつ組」の生活に必要なものを揃えて、さらにその翌日に幼稚園での「面接」を経て、たった一週間で変わり果ててしまった、和実の異常な「日常」だった。 (やっぱりあの時、やめるって言えば、よかったのかな――) 「おむつ組」の園児生活ですっかり弱った心で、和実はぼんやりと考えながら、壁に貼られた写真の一枚に目を向ける。 ちょっぴりフォーマルな女児用ブラウスと、紺のだるまロンパースを着せられて、幼稚園の門の前で撮影された写真。 それは五日前、初めて陸奥学園附属幼稚園に行き、面接を経て正式に「おむつ組」への編入に同意した日のものだった。 (続く)