「おむつぐみ」(49)
Added 2020-04-05 09:33:02 +0000 UTC「よしよし、いい子いい子」 貴子はさらに興が乗ったように、片手を和実の肩に回し、ぎゅっと抱きしめながら頭を撫で続ける。 (うう、おむつにおもらしして褒められるなんて、ぜったい変だって……!) 理性的な判断とは裏腹に、幼児のように頭を撫でられる恥ずかしさとこそばゆさ、そして一抹の否定しようがない喜びの萌芽に、和実は感情を持て余す――が、 「あら、もうおむつ交換は済んだのね」 ふいにトイレのドアが開き、母親が入ってきた。二人の様子に、 「ふふっ、先生に頭なでなでしてもらってたの? よかったわねぇ、和実ちゃん。本当に、幼稚園児みたい」 「ち、ちが、これは……!」 和実は慌てて貴子から離れ、 「そ、それよりも、もう用事は済んだの?」 「ええ、会計も済ませて、今はカートをそこにおいて、呼びに来たところ。さ、行きましょう――と、その前に、一つだけ持ってきてあげたわ」 母親は持っていた小さな袋からなにやら取り出すと、和実に向かってそれを差し出して、 「はい、『おむつ組』専用のおしゃぶりよ」 「えっ――?」 ふいを打たれて、和実は目を丸くする。 母親の手の中にある、透明なケースに入ったプラスチックとシリコンの塊。 それは淡いピンクにさまざまな飾りのついた、奇妙な「おしゃぶり」だった。赤いハートが描かれた中央のキャップはレースで縁取られ、さらに左右にリボンが広がって、横羽のような誤飲防止パーツの上にかぶさっている。衛生面などを考慮すると赤ちゃんでは使えない可愛らしいデザインは、本当は高校生以上の「おむつ組」専用と言ったところだ。 和実は真っ赤になって、 「こ、これを、ぼくが……?」 「そうよ。だってほら、大きさがちゃんと、和実用でしょ?」 「た、確かに、店の中で見たのよりも一回り大きいけど、でも……」 「もう、往生際が悪いわね。はい、いいからお口を、あーんしてごらんなさい」 「うう、ううう……あ、あーん……」 観念して開いたその口に、母親がおしゃぶりを突き出す。見た目のかわいらしさとは裏腹に、口内に挿入されるシリコンの部分は意外なほど大きい。口のかなり奥まで潜り込み、根元が唇に当たるころには、舌全体を下あごに押し付けるような圧迫感があった。 「んっ、ん……!」 和実は反射的に、舌を動かして押し出そうとする――が、貴子が横から指で押さえて制止した。 「ダメよ、和実ちゃん。それも『制服』の一部として、幼稚園ではつけてもらうことになるんだから、早く慣れておきなさい」 (そ、そんなこと言われたって……!) シリコンは思っていた以上に硬く、尋常ではない異物感がある。そのせいで唾液が次から次に湧き出して、繰り返し飲みこんでいないと口の端から溢れてしまいそうだった。 「そうそう、いい子におしゃぶりしててちょうだいね。これからは毎日、おしゃぶりをして過ごしてもらうことになるんだから。いい?」 「う、うんっ……」 おしゃぶりをしていても可能な数少ない語彙で、和実は返事する。 (でも……幼稚園でもずっとおしゃぶりって、先生の質問に答えるときや、話したいときは、どうすれば……?) 「ふふっ、おしゃぶりしてたら返事もできないって顔してるわね。詳しくは明日説明するけど、基本的に首の動きで意思を伝えてもらうことになるわ。もどかしいかもしれないけど、赤ちゃんがおしゃべりしたらおかしいもんね?」 「うう……」 「それじゃ、お店の人を待たせても悪いし、行きましょうか。そうそう、これは和実ちゃんが、ちゃんと持ってなさいね」 「んっ……!」 そう言って渡されたのは、通園バッグと、汚したおむつを入れたビニール袋。口はしっかり縛ってあるが透明なため、ぐっしょりと黄色く濡れたおむつが外側から丸わかりだ。 (いわゆる、「お土産」だ……!) 母親、貴子と順番に出て、和実も肩を落としながら続いて出る。 店内に戻ると、購入済みの商品が満載されたカートの前に店員が待っていて、 「あ、お戻りになられましたね。まぁまぁ、おしゃぶりまで咥えて、ますます可愛くなっちゃいましたね。ふふっ、このベビー用品で、赤ちゃん生活を楽しんでくださいね」 大はしゃぎで言う彼女に、和実は赤くなって歯噛みする――ことすらもできずに、おしゃぶりのシリコンを噛むのが精一杯だった。 それよりも――周囲のお客が妙にベビーグッズをカートに入れてレジに並んでいるのを見て、和実は首を傾げる。赤ちゃんを連れた親子連れだけではない。先ほど後ろに並んで、あれこれ言っていた主婦のグループまで、ベビー服やベビー用品を入れたカートを押して並び直している。 「んっ……?」 不思議そうな顔で見つめる和実に、店員は察したように笑って、 「あ、あれですか? ふふっ、お客様が大きいサイズのベビー服やベビー用品を購入してるのを見た他のお客様が、買いたいって殺到したので、特別に販売することになったんですよ。みんなそれぞれ、もう大きなお子さまがいらっしゃるご様子なのに――ふふっ、数日後にはこのご近所に、大きな赤ちゃんがいっぱい生まれるかもしれませんね」 (うう……並んでる人たちのお子さんたち、ごめんなさい……) どのくらいの年齢の子供たちかは知らないが、自分と同じように赤ちゃん扱いされるのだろう――その恥ずかしさから容易に想像がつき、心の中で謝る和実だった。 (続く)