「おむつぐみ」(34)
Added 2020-03-06 13:13:10 +0000 UTCマンション敷地の門前に集まった主婦や小中学生が、固唾をのんで見守る中、和実は彼らを見回して「自己紹介」を始める。 「は、初めまして、この近所に住んでいる、倉石、和実です……」 「…………」 「ぼくは、この春に中学を卒業して、陸奥学園高等部に入学しました。でも……入学式で失敗して、今は附属女子幼稚園の、特別クラスの、お、『おむつ組』に在籍しています……この格好は、『おむつ組』の制服で……幼稚園の外でも着るように言われているので、昨日から、こうして、着ています……」 そう言って、ぺこりと頭を下げる。 詳細は端折った最低限の説明だったが、ギャラリーには伝わったようで、 「陸奥学園の……」 「そう言えば、附属幼稚園の制服によく似てるわね」 「スカートじゃなくてブルマーだけどね、ふふ……」 「けど、『おむつ組』なんて初めて聞いたわ。ほんとにそんな制度があるのかしら?」 「あんな制服を着てるんだから、本当なんじゃない? でなかったら……ねぇ?」 「高校生から女子幼稚園なんて――ふふっ、恥ずかしそう……」 「う……」 揶揄と憫笑に満ちたさざめきに、和実はまた逃げ出したくなるが、ギャラリーはまだ解放してくれない。自動的に質疑応答が始まって、 「失敗って、いったい何をしちゃったの?」 「それは……その、入学式で、新入生代表を任されたんですけど……たくさんの人の前で話すのが、緊張しすぎて、お、おもらしを、してしまいました……」 「あらあら、高校生にもなっておもらしなんて、恥ずかしいわぁ。名門校の陸奥学園にまで行ったのにねぇ」 「なるほどねー、おもらししたから『おむつ組』なのね。勉強の前におもらしを治せってことかしら。うふふふふっ」 「しかも男の子なのに、女の子の赤ちゃんみたいな制服でねぇ」 主婦たちの笑い声は、お世辞にも好意的とは言えない。格の落ちる公営住宅の住民としては、ちょっとお高い住宅街の住人に降りかかった災いが、ゲスな喜びを生んでいるのだろう。 屈辱に泣きそうになる和実に、主婦たちは立て続けに質問を浴びせる。 「ブルマーが膨らんでるけど、やっぱり『おむつ組』だから、おむつも当ててるのかしら?」 「は、はい……」 「へぇー、本格的ねぇ。もしかして、おしっこもおむつにしてたり?」 「えー、まさかそんなことはないでしょ、ねぇ?」 「そ、それは、その……あの……よ、幼稚園からの、指示で、おむつに、おしっこ、してます……」 「うっそぉ!? ほんとに赤ちゃんなのねぇ」 主婦たちを中心に、さらに笑い声が爆ぜた。 (うう、そりゃやっぱり、こうなるって……!) 男子高校生が女児幼稚園の特別クラスに落第するという和実本人にとっての悲劇も、赤の他人にとっては心躍る喜劇に過ぎない。 小中学生たちも笑いかわしていたが、その中で、一人の女子小学生が手を挙げて、 「でもお兄さん、何で幼稚園に通うことにしたの?」 「えっ……そ、それは、いま言った通り、学校から――」 「そ、そうじゃなくて、その、学校をやめて、来年別の学校に行くこともできたでしょ? なのになんで、幼稚園に通うことにしたのかなぁって……」 「それは――」 和実は一瞬考えて、 「それは――自分のしたことだから、その結果も、ちゃんと、引き受けなくちゃって……幼稚園に、しかもこんな制服で通わなくちゃいけないのは、恥ずかしいし、不安だけど……でも、学校の決まりでそうなってるなら、逃げることはできないから……」 「…………」 「あと……こんなぼくでも、認めて、応援してくれる人がいたから……」 和実はちらりと、背後の母親を振り返る。 こうして和実を説明に立たせたことも、一見すれば息子を辱めるかのような行為だったが、逃げ回っていては、かえってゲスの勘繰りから揣摩臆測だけが広がり、噂が長い間続いてしまう。受け入れられるかどうかは別として、自分の口から説明して、正しい情報を広げたほうが良いのだ。 (それに――佐々木さんや、藤原さんや、さっきの二人も――) (まぁ、藤原さんや佐々木さんの場合、あれを喜んでいるって言ったら特殊なプレイだと思われちゃいそうだけど――) ちらりと余計なことを考える和実だったが、むろん質問した小学生の少女は、そんなことに気付くはずもない。真面目な表情で答えを受け止めて、 「そうなんだ……うん、じゃあお兄ちゃん、頑張って、幼稚園児になってね!」 「え……あ、うん、ありがとう……」 小学生からの思わぬ励ましに、和実はほんの少し笑顔になる。 主婦たちも、自分たちの行いを顧みてバツが悪くなったらしく、 「ええ、その、頑張ってちょうだいね」 「は、はい! 頑張ります……!」 和実はもう一度、頭を下げた。 マンションの人々はそれで満足した様子で、ようやく散っていった。おそらく一日もたたないうちに、和実が幼稚園児に落第したことがマンション中に知れ渡るのだろうが―― (いつかは知られることだし……ちゃんと自分で説明できて、よかったのかな……) (思わぬ応援も、もらえたし……) ちらりと通学路を見ると、先ほど質問した少女が笑顔で手を振ってくれている。 和実は小さく、手を振り返して―― 「へぇ、なかなかいい度胸ね。『おむつ組』の倉石くん」 ハスキーな女性の声に、和実はハッと振り返った。 (続く)