中野二乃は悩んでいた。
モテる女とは何なのか。
理想の自分とは何なのか。
やがて来るであろう、『結婚』という人生の転換点。
そして、女性が最も輝く一日を彩る『花嫁衣装』を着こなせる魅力的な女性になるためには、どうすればいいのか。
五つ子の次女である彼女は、誰よりも家族への愛情が強い。
昔は何をするにも五人並んで行動するのが当たり前であった。だがこの年齢になると、それぞれの個性が、性格が、それを許さない。小さな意見の食い違い、小さな挙動の癖が、少しずつずれていく。
二乃は、それがたまらなく寂しかった。
だがその寂しさは、やがて競争心という小さな火種にもなってしまう。姉妹の服装にケチをつけ、姉妹の言葉を受け止めきれない。
それゆえに、彼女は姉妹と平等でありたいと思いつつ、姉妹よりも魅力的でありたいと思ってしまう。
彼女の心は、最初のきっかけを探していた。
◇
誰もいなくなった放課後の教室で、二乃は一人で姉妹が来るのを待っていた。
つまらなそうに毛先を触り、外を眺めてはいるものの、視界には何も映っていない。
厳密に言えば映っているのだが、彼女の思考は景色を捉えることをしていなかったのだ。
図書室へ行く者、部活の手伝いに行く者、小さな用事で職員室へと足を運ぶ者、隙間時間を利用して宿題を進める者。同じ家に住む五人の生活は、歳を重ねるごとに違うものへと変化していく。
茜色が教室を塗り潰し、僅かに開いた窓からは、心地よい春風が通り抜けていく。
瞼を落とせば、そのまま意識まで沈んでしまいそうな、そんな空間。
二乃がグッと伸びをして、机に顔を埋めようとしたその時。
ガラガラッ、と教室のドアが開いた。
ハッとして顔を上げ、姉妹の誰が来たのかと入口を見やる。しかしそこに立っていたのは、クラスメイトの男子生徒だった。
「……あぁ、アンタか」
「中野、こんな時間に何してるんだ?」
「……別にっ、アンタには関係ないでしょ」
彼女の不機嫌は、男子生徒に向けられたものではない。
姉妹の誰でもなかったという予想の外れと、心に引っかかる不安が混ざった結果だった。
「それもそうだな、悪い」
そう言って、男子生徒は自分の席に何やら忘れ物を取りに来たようだった。
悪い、という言葉に、二乃の心がピリッと痛む。この男とは特段仲がいいという訳ではないが、席が近いということもあり他愛のない話をすることはよくある程度の関係。だが、自分の態度が悪かったのではないかと感じ、取り繕ったように言葉を絞り出した。
「何か忘れもの?」
「あぁ、宿題のプリントをな。途中まで帰ってたんだけどさ、気付いちまったから仕方なく戻ってきた。宿題忘れの減点とか嫌だし」
「ふーん。アンタってそんなに真面目な奴だったっけ」
「まぁお前よりは真面目だろうな」
「何よ、バカにしてんのっ?」
「してねーよっ」
いたずらに微笑む男の表情に、緊張が解けたように二乃の顔にも小さな笑みが浮かぶ。
二乃自身、この男と会話をするのは苦ではなかった。
もとより異性との交流が少ない彼女にとっては、むしろ貴重な機会だと言っても良いだろう。
男友達、と言ってしまえばそれまでだが、今日の彼女は、いつにない積極性で少し踏み込みすぎてしまった。
「アンタってさ、彼女とかいるの?」
「……は?」
机の中をゴソゴソと漁り、目的のプリントを教科書と併せて鞄へしまっていた男は、思いがけずに手を滑らせる。
予想外の言葉に、男の反応は至極鈍く、きょとんと二乃の横顔を見つめていた。
「彼女がいるのかって聞いてるのよっ」
「いや……この間別れた」
男は落としてしまった教科書とプリントを拾い上げ、ぽんぽんと叩いてしまい込む。
「ふーん、フラれたの?」
無理に話を振って、状況を悪化させてしまったと二乃は思った。
「言い出したのは俺だけど、お互い納得してって感じだな」
「結局フラれたんじゃない」
「だから違うって」
二乃は生まれてこの方、男性と交際したことがない。
周囲の友達は皆彼氏がいる。『二乃は理想が高いから』などと言って、このままでは彼氏などできないと、諭されているようにも感じてしまう。
無論、それは彼女の被害妄想にほかならないが、小さな不満は、若干十七歳の少女の心をかき乱すには十分すぎる理由だった。
「恋愛って何なのかしらね」
「それを俺に聞くか」
いつの間に前の席に腰を掛けていた男の横顔が、夕焼けに照らされて鮮やかに映る。
自分が経験したことのない、『恋愛』というものを知っている異性。
自分が経験したことのない、『男女の関係』。
今まで意識して見ていなかったのだろう。見慣れたはずの顔立ちが、新鮮なものに見える。
「……な、なんだよっ」
じっと見つめられて、男の頬がほんのり紅潮してしまうが、夕日に紛れて二乃には見えない。
「アンタって話しやすいし、そんな悪い印象はないのよね」
「お前にもそんなお世辞が言えるんだな」
「失礼ねっ、これでもちょっと真面目に言ったのよ」
「それはどうも」
この日を境に、二乃とこの男が会話をする機会が増えていった。
朝のホームルーム前、授業の合間、昼休み、放課後の少しの時間。
いつからか、毎日のこの小さなコミュニケーションが、二乃にとって幸せな時間だった。
気兼ねなく話せる異性は、貴重な存在で、とても、心地良かった。
◇
「私と、付き合ってください」
放課後の屋上で、女子生徒が、男子生徒に告白を試みていた。
屋上で、空気を胸いっぱいに吸い込もうとやってきたニ乃は、たまたまその現場を目撃してしまったのだ。
告白されているのは、件の男子生徒。
二乃にとって、いつの間にかここ最近の生活には欠かせない存在となっていた男だ。
女子生徒は顔を真っ赤にして手を差し出しているが、告白に対する返答は、ここからでは聞こえない。
だがその姿を見るだけで、二乃の心に暗い影が落ちる。
男がその手を取り、微かに口を開く。
二人が交わした握手は、どういった意味なのか。
涙を流して手をギュッと握った女子生徒は、どういった心境なのか。
視界が濁る。
頭に靄がかかり、呼吸が浅くなる。
この光景を、一秒でも早く忘れたい。
ゆっくりと身を翻し、二乃は足早に姉妹の元へと向かって階段を駆け下りた。
◇
翌日の放課後、教室で外を見つめる二乃の心はざわついていた。
いつまでもスッキリしない気分を抱えたままでは姉妹にも心配を悟られてしまう。
彼女は気持ちを強引に切り替えて、今日一日を過ごしているつもりだった。
しかし、目の前に座る男はそんな二乃の異変に気づいていた。
「どうした?」
彼女を案じてか、男の声音はいつもよりも控えめ。
二乃は、男の問いかけに微妙な無表情で返答した。
「……別に」
「何か怒ってるのか?」
「…………別に」
「喧嘩でもしたのか?」
「………………これからするかも」
「は? 誰と?」
「ッ! ……アンタとよっ!」
あくまでも自分のことだと気が付かない男に、二乃は理不尽な怒りを小さく破裂させてしまった。
ばんっ、と机を叩き、男に顔をぐっと近づける。
体を反らせて、躱したように引いた男がビクッと身体を震わせる。
「な、なんで俺と喧嘩なんかすんだよ?」
「分かんないの?」
「わ、分かるわけないだろ。昨日だって普通に話してたし、そりゃ、思い返せば今日のお前は何か変だったけどさ……」
「何か変、ですって!?」
彼女は分かっていた。
これが理不尽な怒りで、男には何一つ悪いことがないということくらい。
避け続けることのできない核心に、踏み込むべきか思考が逡巡する。
だが、昂ぶる気持ちを抑え込むことができない。
「……アンタ……昨日の放課後、告白されてたでしょ」
「っ」
「やっぱり、私見てたんだからッ」
「……そうか」
「手を握ってたのも見たわ、彼女ができたんでしょ?」
「……」
「彼女ができたのにどうしてこんなとこで私と話なんかしてんのよ? 早く彼女のところに行けばいいじゃない!」
頭が熱い。
顔が熱い。
目頭が、熱い。
この気持が本当に怒りなのか、それとも劣等感なのか、今の彼女には分からない。
何も言わない男が、憎らしい。
「……いいわ。アンタがそんな態度なら、私にだって考えがあるもの」
ガタッと立ち上がり、椅子に座ったままの男の正面に立ちふさがる。
「中野……っ?」
「私は努力してきた。料理も、オシャレも、周りに負けないように、姉妹に負けないように……。もっと魅力的な女性になれるように、努力してきたのよっ!」
「お、おいっちょっと落ち着けって!」
「嫌! アンタのせいよ。これはアンタのせい。そうよ、アンタが悪いのよ…………それを、分からせてあげるわ……っ」
◇
ぐっと腰を下ろし、二乃は男のワイシャツに手をかけた。
「おいっ!何してんだよっ!」
慣れない手付きでボタンを外していく二乃の腕を、男がぐっと掴んで静止する。
女性の細い腕を強く握るわけにもいかず、完全な静止には至っていないが、それでも二乃の手は止まらない。
下まで全てのボタンを外し、胸元を開かせる。
程よく熱い胸板、インナー越しに分かる隆起した腹筋が、異性であるということを強く意識させる。
(これが……男の人の身体なのね……っ)
「やめろって! どうしてこんなっ!」
「うるさいわね……っ、黙ってなさい」
インナーを強引に捲り上げ、直接男の身体へと触れる。
伝わってくる熱を手のひらに馴染ませるように、さわさわと手を滑らせていく。
そして胸元を通過したとき、
「……うッ」
身体をビクッと震わせ、男が小さく息をこぼした。
(え?)
もう一度、同じあたりを触ってみる。
「……んっ……や……めっ」
「ふーん……」
一番男の反応が大きいのは二箇所。
ここを触ると、男の表情が歪む。
見たことのない表情。
聞いたことのない甘い声。
「チクビ……弱いのね?」
「そんなこと……ッ、う……っ、ぁ…」
指の腹が、爪が、乳頭の先を優しく通過する。やわらかい感触、二乃の体温。じんわりと快感に変わっていくその動作に、逆らうことができない男は、いつの間にか二乃の腕を離し、自分の声を漏らさないよう懸命に抑えるだけで精一杯だった。
「へぇ~、男でもこんなに敏感なのね? それとも……アンタが変態なだけなのかしら?」
男の表情から全てを見抜き、狡猾な表情を浮かべたまま二乃は一心不乱に乳首を弾き続けた。
自分自身にする際と同じように、優しく、時には触らず、男の反応を楽しんでいる。
「ねぇ……チクビだけでイッたの? メスイキってやつ?」
ビクビクと震える男は、何とか声を絞り出した。
「ぅ……うるせぇ……っ」
「ふーん……そんな態度でいいのかしら? こんな格好、彼女が見たらどう思うのかしらね?」
二乃は男の顔に近づき、スマホのインカメラをこちらへと向ける。
自分と男をフレームに捉え、
「やめ……」
――ろ、と男が言う前に、強引にシャッターが切られた。
「証拠写真ゲットしたわよ、何このだらしない顔は。アンタがこんなに変態だとは思わなかったわ」
「お前……なんでこんなこと……」
自分の愛撫で男が絶頂した。この事実が、彼女を激しく興奮させる。身体が火照り、頭がボーッとしたまま、二乃はニヤリと目を細めた。
「こんな写真、彼女には見られたくないわよねぇ?」
「……っ」
「アンタは私にもう逆らえない、分かったでしょ? 私が魅力的だから、アンタは惨めにイかされたのよ? 認めさない」
「中野……」
「私のことは二乃って呼びなさい。それで……せいぜい彼女に勘違いされるといいわ」
二人の関係は、大きく動いた。
もう普通の時間には戻れない。
だがこれが、二乃に残された最後の選択肢。
自分にそう言い聞かせ、二乃は写真を保存した。
【Side:S 次女-ゴブンノイチ- つづく】
===============================================
次回:https://www.fanbox.cc/@safumarokichi/posts/2444371
一覧:https://safumarokichi.fanbox.cc/tags/S%26Mゴブンノイチ
===============================================
※このお話はIF世界線です。五つ子が某家庭教師と出会わなかったら、という前提のストーリーです。その他細かい設定は激流葬で破壊しました。
どじょう
2021-05-07 08:15:36 +0000 UTC炎心
2021-05-06 11:35:37 +0000 UTC