NokiMo
ヘンリクト
ヘンリクト

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帰宅して

まばたきした瞬間に世界が変わってしまう。 文字通りに一瞬、0.1秒未満という意識することも難しいような間で周囲の光景が様変わりするのは、まるでドラマのシーンが切り替わったかのようだ。 だが、シーンが切り替わったにしては不思議なことに変化が少ない。 明らかに矛盾する極めて異質で強烈な違和感の正体は、室内はそのままに窓から見える景色だけが変わっているせいだった。 周囲に比類するもののない超高層マンション。 地上45階建、高さ160メートルというその威容で地域のシンボルでもあるそれは、数年前に完成前から500戸が完売したことでニュースにもなった。 そんなマンションに暮らす醍醐味はやはり景色であり、住民の大半は日中にカーテンを開けて過ごしていた。 周囲に日を遮れるようなものはなく、晴れていれば惜しみない日光が降り注ぐもので、実際に一瞬前までもそうだったというのに今は違う。 太陽による自然光は完全に消え失せ、代わりに見慣れたLEDの人工光が差し込んでいるのだ。 その違和感に引き寄せられるように窓辺に近づいてみれば、そこに広がるはずの小さな街並みは存在せず、代わりにとても無機質なドアがあった。 そう、ドアだ。 黒い無地という面白味が一切ないそれは、ドアノブが付いてなければ壁と見間違えてしまったかもしれない。 だが、それでもそのドアの下に目を這わせていければ、女物らしい小ぶりなサンダルやパンプス、スニーカーが几帳面に揃えて並んでいることに気が付き、やはりここが玄関なのだと理解しただろうか。 不可解なはずなのに見慣れている光景に思わず息を呑んだ瞬間、ピッという軽い電子音がしたのに続けて、ドアノブがスッと下がった。 マンションに匹敵するだけの巨大なドアが開いて、先ほど失われた太陽光が差し込んだ瞬間、帰宅した家主の身体がその光を遮ってしまう。 「ただいま。……あら、私の家に何かご用かしら?」 凛とした立ち姿。そして、よくよく整った綺麗な顔立ちに小さな笑みを浮かぶ。 艶やかな黒髪は背中まで届く長髪、白いワイシャツの上にライトグレーのベストを重ねており、ベストの胸元に入った模様が校章でなければ学生か大人か判別できなかっただろう。 紺色のスカートは太ももの半分も隠せていなかったが、代わりに漆黒のニーハイソックスが足先からその長い脚を隠すことで、脚で露出しているのは太ももが僅か数センチあるだけ。 同姓ですらもしばしば惚けさせる晨寧〈ときね〉のその肢体美の背後でドアが閉まり、オートロックによる施錠音が無機質に響くのだった。 *** 学校での中間考査を終えて晨寧はクラスメイトたちとの談笑を早々に切り上げて家路についた。 最寄りの駅から徒歩で数分足らずにある自宅マンションまで帰る途中、今日は何して遊ぼうかと思案しながらスマホにその白い指先を滑らせるのだ。 そしてたまたま晨寧の目に入ってきたのが超高層マンションの売り出し広告だった。 大きな建物を遊び相手に選ぶことが多かったせいで、リコメンド機能が自動的にこうしたものを紹介してくれるのだ。 自宅マンションのエレベーターの中で小さく口角を持ち上げて笑った晨寧は、一瞬だけその瞳を閉じてスマホの映し出す情報を脳内でイメージ処理する。 それだけで十分。 カードキーを翳して自宅の玄関を開けた瞬間、目の前にあるのはさっきまでスマホが映し出していたのと全く同じ建物。 ただし、100分の1まで小さくなっていることを除けばだが。 「ふふっ、他人の家に勝手に上がり込んではダメじゃない。お母さんに教えてもらえなかったのかしら」 自分の能力で転送しておきながらわざとらしくそんなことを言ってみれば、その馬鹿馬鹿しさに思わず笑いそうになってしまう。 咄嗟に手の甲を口元に当てることでそれを誤魔化しつつ、いつものように茶色のローファーから足を引き抜いて床を踏み締める。 学校から自宅までは30分足らずの時間であるものの、それでも革製の靴の内部にあった足にとって冷たいフローリングは心地よいもの。 167センチの晨寧が並び立つと、超高層マンションの最上階がちょうど彼女の視線と同じ高さに存在することになり、その部屋に住民は自分の体と変わらない大きさの瞳に見据えられて恐怖に言葉を失ってしまう。 ドンっ、という大きな音は、晨寧が手に持っていたカバンをそのまま床に落とされたことによるもので、マンション内部の人々に衝撃を伝播させた。 「なら代わりに私が教えてあげましょう」 晨寧の右腕が音もなく伸びてマンションの屋上にそっと翳された瞬間、本来は弱々しさすら感じさせる細い五指がクッとマンションの壁面に触れたかと思えば、コンクリートと鉄の塊であるはずの建物がまるで角砂糖で作られているかのように粉砕されてしまうのだ。 壁、床、天井、そういった本来は壊れることが想定できないものがバキバキという耳障りな破壊音と共に圧縮され、逃げ惑う住民たちが玄関から飛び出すよりも圧倒的に早くその圧縮を終えてしまう。 彼らの断末魔の悲鳴を文字通りに握り潰した晨寧は、拳一つ分の高さを失ったマンションを見下ろしながらその長身を小さく震わせた。 「ほら、怖い怖い」 そんなことを言いながら、今度は右脚を押し出してマンションの壁面に膝を触れさせると、そのまま脚を付け根から持ち上げるようにして膝を擦り付ける。 綿素材のニーハイソックスが通過する瞬間、コンクリートが力付くで破砕される轟音が建物内部に轟き渡り、およそ半数の住戸のバルコニーが消え失せ、それどころか窓やその奥のリビングすらも粉砕されてしまう。 外部からその損害を見ることができれば、ディッシャーでアイスの表面を掬い取ったかのように思えただろうか。 しかし、アイスの表面からは家具家電の残骸が降り注ぐこともなければ、同様に人間が悲鳴をあげて落下することもなく、まして火花が散ることもない。 ニーハイソックスについた灰色の汚れを面倒くさそうに払い落とす晨寧は、一瞬前までモノトーンで統一されたデザインをしていたはずの建物が、爆撃にでもあったかのように変わり果てた姿になったことに苦笑する。 「悪いことをするとこんな風にお仕置きされてしまうの。分かったかしら?」 そんな意地悪な問い掛けをしてみても当然ながら答えなどなく、耳を澄ましてみればごく小さな悲鳴と泣き叫ぶ声が僅かに聞こえるだけ。 最初から返事など期待していなかった晨寧は、その場でスッとしゃがみ込み、大規模に内部が露出した建物を上から下まで一瞥する。 ようやく事態を飲み込むことができたのか、住民たちは自分たちを覗き込みながら微笑む女子高生と対面したことで、この理不尽な状況を作り出した元凶がとても可愛らしい存在だと理解した。 「このまま続けて処分されたい?」 晨寧がそんなことを口にした瞬間、まだ残っていた人々はその顔を絶望に歪めて、あるいは泣き崩れ、中にはその場で崩れ落ちるように膝をつく者もいた。 だが、大半の人間は不格好ながらもそこから逃げ出そうとして玄関に向かい、そしてとっくにベルトが破断したことで使い物にならなくなったエレベーターホールの前で改めて絶望するのだ。 なんとか階段を使って逃げ出そうとしても、2度の衝撃で歪んだドアが開かない階も多く、人々は逃げ惑うことさえ満足に許されない。 「なんて、流石にそれは可哀想よね。だから1分待ってあげる。その間にここから退去できた人は罪を問わないわ」 建物内部で多くの人々が一瞬の希望を抱き、直後に無理を悟って嗚咽する中、それでも逃げ延びようとする人は少なくなった。 特に低層階の住人にとっては彼女から与えられた時間は決して無意味なものではなく、階段を使い、あるいはバルコニーから飛び降り、たまたま設置されていた非常用脱出滑り台を使って、沈みゆく船から逃げるネズミのように彼らは地上を目指す。 幸いなことにマンションのエントランスがあるのはあの巨人が座り込むのとは反対側であり、その瞳が自分たちを捉えることはない。 無理な負荷が掛かったせいか無数のひび割れが天井すらも這い回り、無事なガラスなど一枚も存在しないエントランスを抜けた彼らは、一心不乱に走り続ける。 彼らの行手にあるのは自分たちが暮らす巨大な建造物に匹敵するか、もしくはそれより僅かに巨大な木製のドアであり、おそらくその向こう側に広がっているのはリビングなのだろう。 だが、振り返ればそこにあるのは容赦なく自分たちを蹂躙する巨人であり、そちらに進む選択肢がない以上、仮に外に繋がっていないことが明らかだとしても目指すべきなのだ。 あまりの恐怖でうまく動かない脚。何度ももつれそうになりながらも懸命に動かしているのに、ゴールがあるのは遥か彼方。 焦燥が際限なく高まり続けることで冷静な思考など望むべくもない。 だが、それだけ麻痺した思考であっても、ある程度の時間があればそれに気付いてしまうのだ。 そして、気付いたものから順に走る速度を緩め、歩き出し、ついにはそこで立ち尽くす。 明らかにゴールが遠ざかっている。 遠いのではない、遠ざかっているのだ。 当然ながら固定されているドアが動くはずもなく、そして、自分たちはそこに向かっているのだから、遠ざかるなんてことは有り得ないはずだった。 「ふふっ」 本当に小さな溢れ笑いが背後から聞こえた。 振り返りたくないというのに、あらゆる関心と興味がその小さな体を振り向かせてしまうのだ。まるで脳が分かり切っていても答え合わせを求めるように。 振り返った先にあるのは、自分たちが暮らす超高層マンション。 上層階が先ほど握り潰されたことで随分と不格好になってしまっているが、それでも見上げるほどの巨大建造物であることに変わりがない。 そして、そのマンションの奥に聳えるのが漆黒の山。 あの巨人が履いていたニーハイソックスと同じ色をしたその山は、その色だけでなく素材も、用途も、持ち主も、全く同じようにそこにある。 「あら、もう逃げなくていいの? せっかく時間切れに気付かないフリして待ってあげたのに。ああ、もしかして、最期まで諦めないことの大切さもお母さんに教えてもらってないのかしら」 その薄い唇を小さく舌で濡らす晨寧。 先ほどと変わることなくそこにしゃがみ込み、先ほどまで自分の背丈と同じ高さであったマンションを足元に見下ろしながら語りかける。 先ほどまでその小さな生き物は恐怖から会話が成立しなかったが、こうなってみれば耳を澄ましても彼らの声が聞こえることはないだろう。 もともと100分の1サイズまで小さくしていたそれを、再び100分の1サイズへ変えてしまうことで、超高層マンションは消しゴムのような存在へと矮小化する。 先ほどまで晨寧の全身を隠していたというのに、今ではその足指をかろうじて一本隠しているだけだ。 10,000倍。 もはや満足に比較対象の存在しない圧倒的な体格差は、この空間に女子高生とその足元に散らばる細菌という関係性を作り出す。 「なら、それもサービスで教えてあげるわ」 しゃがみ込んでいた晨寧が立ち上がった。 167センチという女性の平均よりだいぶ高い身長の彼女は、床で這いつくばることしかできない存在にとって相対的に16,700メートルというイメージが持てないほどの圧倒的な存在だ。 そんな彼女がスッと持ち上げて見せつけてきた右足は、汗で張り付いた靴下がその形をくっきりと示しているものの、それでも全長2,300メートルという途方もない巨体で現実味がないものだった。 だが、それでも理解できてしまうのは、あの巨大な物体が何をしようとしているかと、自分たちにはそれに対して抗う術がないということ。 その証拠を見せつけると言わんばかりに、右足の踵がトンっと床に下ろされたことで、マンションが叩き潰されて瞬時に原型すら留めず消し去られたのだ。 現代における建築技術の粋を集めた超高層建築物も彼女にとっては、おそらくクッキー菓子にも劣るような強度でしかないのだろう。 「踏み潰されて死ぬの。理解できたかしら?」 楽しそうな声音でそう告げた瞬間、晨寧はペタリと足を倒して床を踏み締める。 フローリングの床に散らばった点々、砂粒のようなそれら一つ一つが人間だと知りながら、それら全てを覆い隠して押し潰す。 1分どころかその倍以上の時間を与えたというのに、矮小な生物は晨寧の足元から逃れることが叶わず、2度目を踏み出す必要がなかった。 踏み下ろした足に体重を掛けてグリグリと押し付けてから持ち上げると、あまりの摩擦力によって消え去ったのか、床にシミらしいシミは見当たらない。 踏み付けた足裏に視線を向けても、元々が黒色だったせいかこちらにも痕跡らしいものが見当たらなかった。 **** 晨寧が暮らすマンションの間取りはファミリー向けのものだ。 そのリビングは非常に広いもので、3人掛けのソファが置かれて、その正面にガラス張りのローテーブルが置かれ、更にテレビ台とテレビが直線上に配置されてもなお余裕が残る。 基本的に飾り気らしいものはなく、モノトーンで家具が揃えられた空間は、人によっては事務所のようだと表現するようなもの。 晨寧はいつもと同じように学校のカバンをダイニングテーブルに置くと、そのまま流れるようにソファへと向かって行った。 「そんなところにいると危ないんじゃないかしら」 黒い革張りのソファ。 晨寧が話し掛けたその座面には、普段は存在しない灰色のカビのようなものが存在していた。 地層ごと剥ぎ取られるようにして、ここへ転移させられた人口50万人超の中規模都市は、ソファの僅かな傾斜によってバランスを失った建物が次々に倒壊することで、転移した瞬間から滅亡を始めているのだ。 10万分の1。 何が起きたかすら分からない極小生物たちは、自分たちの遥か頭上で意地悪く微笑む少女と対峙することはない。彼らが急激に陰ったことに違和感を抱いて頭上を見上げたときには、そこにあったのは巨大な下着だ。 紺色無地のそれ。 あまりにも身近に存在するそれの形状を見間違えるはずもなく、その布が覆い隠しきれてないのが生尻であることも容易に想像できてしまう。 そして、その周囲でヒラヒラとしているのは、位置から考えてスカートだ。 轟音を立てながらビル群が倒壊したことで随分と広くなったはずの空は、今度は瑞々しい尻によって再び塞がれてしまっている。 「警告はしたわよ」 そんな冷徹な言葉とは対照的に、ふふっ、という楽しげな笑い声が聞こえた。 直後、空が巨大化した。 当然のように事実ではないが、矮小な生き物にとって巨大な尻が急接近して視界を埋め尽くすことはそうとしか表現できないものだった。 遠近法の概念を理解していようとも、それに思い至ることは極めて難しい。 何しろ、軽く床を蹴って僅かに飛び上がった晨寧の肉体が落下するのは一瞬のことであり、彼らには十分な思考時間が与えられなかったから。 少女の体を受け止めたソファがモフッと沈み込むのは、そこにいた数十万の命が散った証拠であったが、側から見ているだけでは極めて日常的な光景。 人類の歴史に記録されているどんな虐殺行為よりも大規模なものだというのに。 「んふっ。さて、次は何にしようかしら」 その長身をソファに埋もれさせた晨寧が玩具を求めてスマホを取り出し、その画面に指を滑らせていく。 しばし玩具探しをしていると、軽いポップ音と共に緊急ニュースが通知される。 都市一つが文字通りに消滅してそこに暮らす人との連絡が途絶えたというものだ。 あまりにも突飛なニュースであり、誤報すらも疑われるものだったが、その当事者である晨寧だけは思わず苦笑を浮かべるのだ。 とはいえ、経緯も結果も理解しているニュースに面白味など感じない晨寧は、そのニュースに付属するトピックに興味を惹かれた。 「あら、困っている人が大勢いるのね」 先ほど女子高生の尻が消し去った都市には空港が存在しており、その空港に着陸予定だった飛行機が行き場を失って非常態勢に入ったという内容だ。 着陸間際だったこともあって燃料が枯渇寸前で他の空港まで飛ぶことができそうになく、地上への緊急着陸場所を探しているらしい。 そんな悲壮な決意で飛行中の4機を音もなく部屋に招待した晨寧は、ローテーブルの真上に浮かぶ米粒のようなそれらを見据えて微笑む。 「迷惑をかけてしまってごめんなさいね。お詫びにそのテーブルを使わせてあげるから、好きなところに降りていいわよ」 テーブルの上にあるのは照明やテレビのリモコンとティッシュ箱だけ。 ガラスで作られた天板には乗客300人を乗せた大型旅客機が着陸するのに十分過ぎるスペースが存在している。 困惑の中にあった機体も燃料切れによる墜落の恐怖には耐えかねて、緩やかに降下して着陸を試みようとした。 「遅いわね。手伝ってあげる」 そんな言葉とともに全長70メートルの鋼鉄の機体が一瞬にして高度を数百メートル下げて接地すると、その瞬間にひしゃげてその厚みを失ってしまう。 生存者どころか機体が原形を留めることすらできていない。乗員乗客にはあまりにも唐突なことで、悲鳴をあげる暇すら与えられなかった。 晨寧がその人差し指で飛行機を真上から机に押し付けると、ほんの僅かにクシュっという刺激が指先に伝わる。 大きさこそ蚊のようなものであったが、その速度はもはや停止しているに等しい。 こうして指先で捉えて捻り潰すことはあまりにも容易いことだ。 「あら、力加減が難しいのね。わざとではないのよ。……ふふっ」 指先に付着した残骸に息を吹きかけて綺麗にした瞬間、残りの飛行機がそれぞれ機首を変えてこの場からの離脱を始めたことに気がついた。 目指す方向こそバラバラであったが、晨寧に背を向けている点では共通する。 ただでさえ少ない燃料を大量消費してでも速力を上げるのは、もはやその理由を考えるまでもない。 通常の運航ではまず発揮する機会のない最大速力に達した瞬間、一瞬前まで存在しなかった黒い壁が飛行機の行手に生まれたことで、回避なんて考える間もなく衝突しその場で爆散してしまう。 ニーハイソックスに包まれた足の甲。 行儀悪くローテーブルに乗せた長い脚、その先端に存在した24センチのそれが直立すれば、飛行機の限界飛行高度を遥かに上回る高さの壁が生まれてしまう。 幸いにも晨寧が履いている黒い靴下が背景となることで、飛行機が爆散した際の閃光は彼女に確認してもらうことができた。 「人にぶつかったなら謝るのが筋だけど……。まぁ、許してあげるわ」 そんなことを言いながら軽く足を左右に振ると、そこに付着していた残骸がパラパラと溢れ落ちて、やがて晨寧の目には汚れが見えなくなった。 繊維の隙間にはまだ多くの破片があるのだろうが、見えないなら存在しないようなものだ。 残りの飛行機たちに視線を向けると、先ほどとあまり変わらない位置に浮かんでいるのを見つけたが、残念ながらギリギリで脚も腕も届きそうにない。 それを特に気にすることなく、晨寧はその長く細い指先を太ももに当てると、ニーハイソックスの履き口を摘んで引っ張った。 少女の素肌と綿繊維の布が作り出すほんの僅かな空間。 そこにふと、二つの点が発生する。 懸命に逃げていたはずの残り2機の乗員乗客たちは、機体の周囲が一瞬で暗闇に包まれたことに困惑する。 別空間から連れてくることができるのだから、移動させることだってできる。 そんな当たり前のことに思い至った者が僅かにいたが、それはつまり、何をしても逃れる手段がないことを理解して絶望することに他ならない。 パチっ。 本当に小さく乾いた音がした瞬間のこと。 晨寧が指を離した瞬間にゴムがその性質に従ってあるべき場所に戻っただけのことだが、その過程で数百人という犠牲が生み出される。 あまりにも滑稽で信じがたく、それが終わった後にあるのが女子高生の太ももだけなのだから、証拠らしい証拠は持ち主が再び靴下をめくってくれない限り見つけることもできないだろう。 *** 大海原に対する感動はそう長くは続かない。 出航してから最初の数時間こそその非日常感に心躍ったものだが、所詮は水とそれに反射する光が水平線まで延々と続くだけでしかなく、強烈な飽きが湧き上がる。 そのせいで出航直後からだいぶ数を減らしたとはいえ、それでも乗客が5,000人超なのだから甲板に出ているものも多くいた。 彼らは変わり映えのない海に対してぼーっと視線を向けていたが、瞬きした瞬間にその光景が変わり果ててしまったことに驚愕する。 黒い壁があるのだ。 どうやら金属製らしいその壁は緩やかな弧を描いて聳え立ち、船の周囲をぐるりと取り囲んでしまっている。 その高さは低く見積もっても300メートルを超えており、それが直径2キロメートルを超える囲いを作っているのだ。 明らかに人工物であるというのに、人工物として存在するとは思えない。 そんな矛盾に満ちた感想を抱いていると、船のエンジンが停止して、そのまま緩やかに速度が落ちていく。 このままでは壁と衝突すると判断しての停船。 それに気付いたのか、不安そうな顔をした人々が次々に甲板に顔を出す。 「カエルの釜茹で理論は知ってるかしら?」 どこか楽しげな、それでいて冷徹な言葉が空から降り注いだ瞬間、カチッという音が周囲に響き渡る。 直後に聞こえるのが轟音。周囲の音全てを掻き消す圧倒的な暴力であるそれは、次の瞬間にさらに強くなった。 もはや自分自身の声すら聞こえない状況では悲鳴による恐怖感情発露すら満足に機能しない。 彼らにできることはそれほど多くなく、耳を塞いだまま、この轟音の直前に明確に聞こえた声の正体を探って周囲を見渡すこと。 だが、船の上はもちろん、海の上にもその持ち主は存在しない。 そして、その過程でようやく、この海に波がないことに気が付いた。 金属製の円形の壁。波のない水面。カチッという小さな音。そして轟音。 それらを脳内で結びつけようとした瞬間、波のない水面でポコッと気泡が弾けた。 ――釜茹。 その単語が何の比喩でもないことに人々が気付くのと、水面に夥しい数の気泡が浮かび上がるのは同時だ。 全長490メートルの超大型客船の船体が何層にもわたって遮っていた熱が甲板に伝わり始めると、金属の手摺りを掴んでいたものが飛び上がってその場に転げ回る。 「ふふっ」 人を嘲る笑い声が轟音すらもねじ伏せて乗客たちの耳元に届いた。 そこでようやく、彼らは頭上を見上げることで、自分たちを覗き込む巨大な顔と対峙することになる。 非常に精巧で美術品のような美しい少女がそこで微笑んでいる。 あまりにも巨大なそれは、自分たちが乗っている船を超大型と呼ぶことを躊躇させるほどのものであり、もし隣に並べたら彼女の薄い唇といい勝負になってしまう。 それだけ巨大な人間がいるならば、それに相応しい物があるのは当然。 水を張ったフライパンをコンロに掛けて火を着ける。 一人暮らしの晨寧にとってなんら珍しくもないことであったが、1万分の1まで小さくされた人間にとってそれは想像すらしない拷問だ。 「あなた達はカエルではないのだから、逃げないと死ぬってことくらいもう分かっているでしょう?」 何がそんなに楽しいのかと叫びたくなるような笑顔で彼女が口をひらく。 もはや逃れようのない強烈な熱気が船の隅々までを包み込み、バタバタと人が倒れて動かなくなる。 専門的な知識がなくても、その人が2度と動かないだろうことに確信がある。 人々は咄嗟に船内に逃げ込むものと、少女を見上げるものに分かれた。 少女を見上げる人々はやめてくれと声を張り上げる。助けてくれ。殺さないでくれ。 世界を巡るツアーをしているだけあって実に多種多様な言語であったが、その声音にこもった悲壮感だけで何を言っているのか誰でも分かる。 泣き叫んでいるはずなのに、その涙すらも一瞬で蒸発してしまう理不尽。 そして、喉が潰れるほど声を張り上げてもコンロが火を焚く轟音がそれを掻き消す。 何も言葉を語ることのないその事実だけで人々は自分たちがいかに無意味なことをしているかを痛感させられ、やがて意識を失ってその場に倒れて動かなくなる。 「ちょっとだけ意地悪するわね」 どれだけの嘆願も懇願も受け付けない美少女から戻ってきたのは、慈悲とは対極の発言。もっとも、彼女の耳に自分たちの声が届いていないのだから、戻ってきたというのは正しいものではない。 その顔が急速に遠のいたかと思えば、入れ替わりに細長い何かが接近してくる。 スケールの違いが圧倒的であるが故にその正体に気がつくのが難しいが、これ以上ないほどシンプルな形状のそれを見間違えるはずもない。 2本が並んで差し込まれてくる箸。 それを握っている手との比較からおそらく菜箸なのだろう。 そんなものが接近したかと思えば、船体後尾の両側面に触れた瞬間、まるでハサミであるかのようにそれを切断してみせる。 数百人をその存在した空間ごと瞬時に捻り潰したことで、凄まじい衝撃が周囲を襲うことで甲板にいた人々が船から放り出されて灼熱の水面に消え去り、同時に破壊させた箇所から煮えたぎる水が船内に傾れ込む。 とても人間とは思えない悲鳴が無数に響きわたった。 「お豆腐よりも摘むのが難しいじゃない。……あら」 箸で突いて虐める気満々だった晨寧は、最初の一撃だけで船体が浮力を失って沈み始めたのを見て意外そうに声を漏らす。 竜骨すらも破壊したそれは対艦ミサイルの直撃に勝る損害であり、当然の帰結ではあるものの、船の構造に興味すらない晨寧が外部から見るだけではさすがに呆気なさすぎる終わり方に思えてしまう。 「ん〜、何とかならないかしら」 そんなことを言いながら、試しにと晨寧は箸を突き刺してみる。 世界最大級の超豪華客船はその最上階から船底部まで実に11階層を有していたが、少女が摘んだ箸は再び数百人の命を蹴散らしてそれらを瞬時に貫通してしまう。 晨寧がそのまま持ち上げようと力を加えた瞬間、巨大な船体は一瞬だけ持ち上がる気配を見せた後、バラバラとその場で崩壊する。 もはや浮かんでいることが不自然だと言わんばかりに急速に沈む残骸は、多くの人間を生きたまま灼熱の海に引き摺り込むのだ。 「ダメみたいね」 呆れ混じりに小さく苦笑した晨寧はその玩具で遊ぶことを諦めると、次の瞬間には手首を振るってフライパン全体を箸でかき混ぜる。 たったそれだけのことで、凄まじい水運動の暴力が船の残骸を圧壊させ、引きちぎり、僅かな生存者すらも灼熱が焼き殺す。 琴音はコンロのツマミを捻って火を消すと、同時にフライパンの中に浮かぶ残骸をそのまま元あった海に戻してあげるのだった。 *** 海が消え去った。 高層ビルの上層階から見渡す景色は海が大部分を占めていたからこそ美しかったというのに、それが湿り気を帯びた地面になってしまっては荒野と変わりない。 ところどころに見える点々はおそらく船だったのだろう。 突如として水が消え去ったことで水深と同等の高さから落下、大半の船はそれで粉々に砕け散ったようで、船としての形を残しているのはどれも軍用の船ばかり。 周囲を見渡しても自分と同じように唖然として外を眺める者しかいない。 ふと視線を眼下に向けてみると、そこにある大通りでは数えきれないほどの車が大破して煙をあげていた。 自分と同じように消滅した海に驚き気を取られたのはもちろんのこと、突如して信号機の全てが消灯したことも原因のようだ。 そのとき、非常事態を知らせるサイレンが鳴り響き、この大都市に存在するすべての人間からその意識を強制的に奪い取る。 一瞬遅れてスマートフォンの通知音がけたたましく鳴り出し、ほとんどの人が反射的に自分の端末に手を伸ばす。 黒背景に浮かぶ黄色文字は『不明:クラス9』 既知の災害や軍事攻撃に分類されず、しかし核攻撃に匹敵する脅威が迫っていることを知らせるそれは、宇宙人の襲来くらいしか出番がないと失笑されるはずのもの。 先ほどまでこの空間を支配していた困惑が急速に緊張へと塗り替わる。 「こんにちは」 手の甲に顎を乗せた晨寧が挨拶する相手は実に1,040万人。 そして、その優美な笑みを向ける相手もやはり同じく1,040万人だ。 ダイニングテーブルに航空写真を広げているかのような光景であったが、写真と違ってそれらには奥行きもあれば、実体として触れることもできる。 そして何より、航空写真には映らない人間が確実に存在しており、その誰もが彼女の言葉を嫌でも聞くことになってしまう。 世界有数の大都市。 言い換えれば、使用可能回数に極端な制限があるそれを使ってしまうことに決めたのは、単に晨寧の気分が乗ったからというだけのこと。 先ほど玩具にしようとした船が想定外に面白くなかったことも原因ではある。 「あら、無視は良くないわね」 右手をそっと動かして大都市の上空へ翳すと、その手のひらと都市のサイズはほとんど変わらない。 僅かに都市の方が面積で勝るものの、このまま晨寧がパンっと叩き潰すようなことをすれば、その衝撃波が隅々までを瞬時に薙ぎ払ってそれで終わるだろう。 だが、幸いにもその白い手の全てが落ちてくるようなことはなく、人差し指だけが接近を始め、そして10万分の1サイズの都市へ静かに着地する。 もっとも、静かにというのは晨寧にとっての話。 テーブルの上に転移させられた彼らにとっては、大地が内側から破裂するかのような凄まじい衝撃。 指の直撃を受けた数万の住宅と雑居ビル群が擦り潰されるのはもちろん、そこを起点に半径1キロメートルの範囲が衝撃によって更地と化し、半径3キロメートルの範囲内で生存者はない。 瞬時に推定60万を超える人命を奪い去ったその指先は、家と同じサイズの瓦礫をまるで雨粒のように降らしながら空へと帰還する。 それは、人々が緊急事態として『たかが核攻撃』のレベルまでしか想定していなかった甘さを思い知らされる日が来てしまった瞬間だった。 「テーブルの上に居られると邪魔なの。今すぐ退かないなら私が片付けるわよ」 こんな風に。 そう言いながら晨寧は僅かに背を丸めて前屈みになると、その小さな唇からそっと息を吹き出した。 人の肌に向けてもその境界層を剥がさない程度の微弱なそれは、大都市の東部に直撃すると、そこに存在するビルを文字通りに吹き飛ばすのだ。 使わせている素材も、作られた時期も、その大きさも関係ない。 雑草すら残さない完璧な殲滅。 彼女の吐息が通過した後に残るのは剥き出しの土だけであり、どれだけ調査したところでそこに人類が存在した痕跡が見つかることはない。 先ほどの指ツンと合わせることで、彼女によって生み出された犠牲者はどう少なく見積もっても100万を超えてしまう。 もし、あの美しい唇が自分たちを捉えることがあれば、次の瞬間には粉々に消し飛ばされるのだとしたら、そこにあるのは恐怖だけ。 ようやく人々は自分たちがどれだけの脅威と対峙しているのかを理解し、知性を感じさせない悲鳴をあげて逃げ回ることになった。 「でも、そうね。テーブルが使えないデメリットを上回るメリットがあるなら、そこに居させてあげてもいいわ。あなた達、何かできるかしら?」 にこやかにそんな提案をしてみる晨寧。 スマホを取り出してこのために自作したアプリを立ち上げてから、アーム式スタンドにスマホを嵌め込むことで、都市上空に傘を作り出す。 アプリが映し出すのはQRコードとメッセージチャット画面。 画面の端っこで2頭身にデフォルメされた晨寧そっくりのキャラが揺れ動く。 晨寧が矮小な生き物相手にコミュニケーションを取るために作ったそれは、極めてシンプルなものであり、説明されることなく人々はデジタル化された命乞いを始める。 助けてください! ――嫌よ。 望むだけのお金を払います! ――興味ないわ。 あなたの奴隷になります! ――興味ないわ。 なぜこんなことを? ――回答が未登録です。 殺さないで! ――嫌よ。 こんなことをして無事でいられると思うのか。 ――回答が未登録です。 多種多様なメッセージに対して一瞬のうちに回答が表示される。 無数の言語があるのはもちろん、支離滅裂な内容に至るまで。 だが、送信された順に応答するそれを祈る気持ちで見つめていた人々は、それほど時間を経ることなくその正体に気が付く。 これは自動返信だ、と。 脚を組みながら取り出したタブレットでその挙動を見守る晨寧は、少し悔しそうに苦笑する。 「短文応答のBotでも意外と難しいものね。まぁ、初回は動いただけで良しとしましょうか」 そんなことを言いながら、滝のようにメッセージが送られてくるスマホをホルダーから取り外すと、そのアプリをスワイプして強制終了してしまう。 その瞬間、ダイニングテーブルの上に残された数百万の人々は、自分たちに命乞いの手段すらないことを思い知る。 同時に、彼女に自分たちを助けるつもりがないという事実も。 「念のために伝えておくわね。細菌が人間にメリットを提示できるわけないでしょう。あなた達、自己評価が高過ぎるわ」 椅子から腰を浮かせて立ち上がり、そのまま上半身を前方へ倒す晨寧。 一人で使うように設計されたダイニングテーブルはそれほど広いものではなく、彼女の腕はそれを容易く縦断して反対側へ到達してしまう。 美少女に覆い被さられている。 座っているときはそれほど大きく見えることがなかった胸も、こうして重力によって本来の形に近くなれば平均以上のサイズであることが見て取れる。 ベストに刺繍されたクローバーモチーフの校章ですらその直径は1キロメートルを優に超えるものであり、彼女が身に纏う冷徹な雰囲気とは裏腹にまだ女子高生でしかないことを雄弁に物語っていた。 圧倒的な巨体。 この都市に存在する全長700メートルを超える超高層タワーでさえ、晨寧の肉体と比べれば爪楊枝より貧弱な線に見えてしまう。 「でも協力してもらったお礼はするわ」 彼女が口にしたお礼というものがどんなものか、それに思考を巡らせる人々は、直後にその正体に思い至って思考したことを後悔する。 そもそも考える意味すらない。 そのために彼女は立ち上がり、こうして自分たちの頭上に占位したことが明白なのだから。 あまりに絶望に対して叫び声を上げて駆け出す。 そんな無駄なことをしてしまうのは、ここがテーブルの上であって、彼らにとっては床までの高さが70キロメートルを超えることを理解していないからだ。 「ハグしてあげる」 あまりにも冷徹な処刑宣告が告げられた瞬間。 彼らにとっての新たな空だったはずのクソデカおっぱいが、単なる質量兵器に転じた。 二つの乳房が押し付けられたのは都市北部に存在していた三つの区画。 面積にして都市の4分の1程度が、ライトグレーのベストによって押し潰されてしまうのだ。 逃げ惑っていた人間、隠れ潜んでいた人間、祈りを捧げていた人間、怒りで叫んでいた人間。 それらを分け隔てることなく一瞬にして、彼らが存在していた痕跡ごとこの世界から抹消したおっぱいは、持ち主がそのままグッと体重を乗せることで、むにゅっとその形を変えてしまう。 谷間に当たる僅かな部分での存在すらも許さないとする徹底した殲滅だ。 「んっ」 僅かに色っぽい声が漏れてくるものの、それすらほんの一瞬起きただけのこと。 そして、おっぱいの直撃を受けた区域でそれを聞くものはもうおらず、耳にしたのはこのあとで彼女に消されるだろう暫定的生存者だけ。 だが、幸いなことに百数十万人を押し潰したおっぱいはそこでいったん動きをとめ、持ち主の少女がその場で熱混じりの息を吐くのを待った。 あまりにも微細で、しかしこれ以上ない背徳感が刺激となって晨寧の背筋を揺らす。 運動どころか動作と呼ぶかも怪しいそれだけなのに、晨寧の顔にはうっすらと汗が浮かんでしまうのだ。 「はぁ〜。……いいわね、これ」 軽く上半身を持ち上げてその惨状を堪能する晨寧。 先ほどと変わらない航空写真のような精緻な街並みに、明らかに異質な何もない空間が発生していた。 まるでブラックホールでも生じたかのようであるが、それを作り出したのが自分のおっぱいなのだという奇妙な落差に笑いそうになる。 無意識に唇を舌が濡らす。 嗜虐心に燃えた瞳と合わさることで、見るもの全てに異様な恐怖を与えるそれは、未だに生存を願っていた人々の心を砕くのに十分。 弄び、嫐り殺す。 言葉を使っていないのに、彼女が何をしようとしているのか分かってしまう、いや、分からされてしまうのだ。 「再開するわね」 晨寧はテーブルの淵を掴んだまま、腰を引いて自分の身体を曲げていく。 まるで寝起きの猫がするようなそれは、都市の郊外におっぱいが触れることで、彼女がしたいことの準備が終わったことを意味する。 大きい胸。 ベストもシャツも、そしてそれらから覗く首筋も。 何もかもが極めて美しく扇情的ではあるものの、それでも珍しくなんてない。 違うのはただ大きいということだけ。 仮におっぱいとの間に山脈があろうとも、それはおっぱいを隠してくれない。 そしてそれは、晨寧が動き出した瞬間に蹴散らされ消え去るのだ。彼女にその存在を意識されることもなく。 「あの世で家族や友人に会えたら『美少女のおっぱいで粉々にしてもらえました』と話してみなさい。きっと羨ましがられるわよ。……ふ、ふふっ」 馬鹿馬鹿しい。 自分で口にしたとは思えないほど滑稽な発言に晨寧は笑いを堪える。 唇を軽く噛んで笑いを押し殺すと、ゆっくりとその上半身を前方へ押し出す。 10万倍の巨体にとってのゆっくりは、都市の人々にとっては技術では体現できないほどの超高速。 例えここに飛行機があって運良く乗り込んでいたとしても、止まっているのと大差ないと言われてしまうようなものだ。 一瞬ごとに数千の建物と数万の人間がおっぱいの下に消え、それは都市の中心部に近付いて人口密度が高くなるほど数を増やしていく。 川も、森も、丘も、侵攻するおっぱいにとって障害になることはない。 自然物も人工物も全てが女子高生のおっぱいの前には等しく無力であり、触れた次の瞬間にはこの世界から消えてしまう。 全長30キロメートルにわたって全ての生物を消し去る大虐殺が完成するのに要した時間は10秒足らず。それも、晨寧にしてみれば焦ったいほどゆっくり遊んだことによるもので、消し去るだけなら1秒も必要ないのだ。 たった1度、身体を擦りつけただけで大都市一つを葬り去った晨寧は、脱力したように椅子にもたれかかる。 自分の制服に付着した汚れに視線を落とし、次に大都市があったはずのダイニングテーブルに視線を向ける。何があったのか、何をしたのか、それを頭の中で反芻すると、自然と足の指をギュッと握り込んでしまう。 いつでも消し去れる微細な瓦礫をあえてそのまま残した晨寧は、いつもの理知的なそれとは似ても似つかない光を瞳に浮かべつつ、再びスマホに手を伸ばすのであった。 〈終わり〉


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