NokiMo
サトー
サトー

fanbox


『被験体X』連載(2) ※追記

登場人物: 中嶋哲雄(なかじまてつや) 27歳 野村近平(のむらきんぺい) 27歳 田中悟志(たなかさとし)  24歳 *** (3)  三人は扉の方へ歩き出した。  コンクリートの階段を下っていくと、頑丈そうな鉄扉があらわれた。重たい鉄扉を押し開けた途端、つん、と独特な生臭いニオイが鼻を突いた。 何だ、この臭いは……? 獣のような臭い、饐えたような臭い、粟の花のような臭いが入り交ざり、哲雄は息が詰まりそうだった。ガチャガチャ、と鉄扉のロックが掛かる音が聞こえた。  そこは多種多様なトレーニングマシンの並ぶ、コンクリート打ちっ放しの広々とした空間だった。広さの割に、照明器具の数は不釣り合いに少なかった。天井から剥き出しの裸電球がいくつか垂れ下がっているだけで、ちかちかと点滅を繰り返しているものも混ざっている。部屋の奥の方は薄暗くて、よく目を凝らさなければ何があるかも分からなかった。  プライベートジムのような場所か? それにしても、気味が悪いな……。哲雄は、さっきの高揚した気分に冷や水を浴びせられたように気勢が殺がれた。訳も分からず緊張し、指先にうっすらと汗を掻いた。  アナウンスが流れた。 『皆さんには、マシントレーニングに取り組んでいただきます。今回はベンチプレスとデッドリフトとスクワットの主要な3種目に絞ります。初日は軽いランニングで身体を慣らしてから、10キロ、30キロ、50キロ、100キロ、150キロへと加重を引き上げていただきます』  三人とも耳を疑った。何かの冗談だと思った。 『最終日には、500キロの加重で100回×3セットできるようになっていただきます。はっきり言って、本当は3日間も必要ありません。当社のコンプレッションウェアを着用した者の7割以上が初日のうちに500キロ加重を達成しています。気負わずに取り組んでいただければと思います』  重い沈黙が流れた。沈黙を破ったのは近平だった。 「あの、すみません、冗談ですよね?」近平は、天井の隅に設置されている監視カメラに向かって声を上げた。哲雄と悟志も口元に困惑した笑みを浮かべ、黙って返事を待ったが、間もなくぷつんとアナウンスの途切れる音が鳴った。 「はは、なァ、どう思う……? 俺、100キロが限界だぜ……?」近平は動揺した様子で、哲雄と悟志を振り返って言った。声こそ笑っていたが、目はまったく笑っていなかった。  哲雄は、100キロも挙げられるだけ良いじゃねえか、と毒づきそうになるのを抑え、「俺なんか、マシントレ自体ほぼ初心者なんで」と愛想笑いを浮かべて答えようとしたが、頬が引き攣るだけでうまく笑えなかった。悟志に至っては俯いたまま何も言わなかった。 「いや、でも、」と近平は腕組みをしながら言った。「冷静に考えたら、500キロを300回とか、人間ではあり得ない重量だよな。もしかしたら、そんな無理難題を吹っ掛けられても挑戦しようとする姿勢を見られてるのかしれない。っていうか、それしか考えられない……」じゃなきゃ、こっちから願い下げだっつの、と小声でつけ加えた。 「そうですね。あり得ないですよね。きっと、俺達のやる気とか根性とかを見たいだけなんですよ。実際にできるかは別として」哲雄も納得がいったように頷いた。悟志もいくらか気持ちが整理できたようで、「なるほど、じゃあ落ち込んでないで、さっさとトレーニングに励もうかな」と頭を上げて前向きな表情を見せた。 「あの、せっかくなんで自己紹介しません?」  哲雄が言い出しっぺで、それぞれ自己紹介を行った。哲雄と近平は同い歳であることが判明し、その話題で盛り上がった。悟志は二人よりも3つ年下で、そう言われてみると一番顔立ちが幼く見えた。  近平と悟志は、別の有名なジムでインストラクターとして働いていたようだ。近平はガッチリとした体型だったから見た目通りの職業とも言えるが、悟志はどこにでもいそうな中肉中背の体型だったから意外だった。  哲雄は自分だけ異業種からの転職であることに尻込みしそうになったが、気持ちから負けてしまっては駄目だと思い、「あ、そうなんですか? じゃあ、マシンの正しい使い方とか、正しい姿勢とか教えてもらえると嬉しいんですけど……」と開き直ることにした。  そうだ、これから人一倍努力してトレーニングや勉強に励めばいい。哲雄にしては、めずらしく前向きな思考で捉えていた。  ……あれ? と哲雄は何とも言いようのない違和感を覚えた。俺って、こんなに前向きな思考だったっけ……?  きっと、この仕事が俺に合っているってことだな、と哲雄は勝手な解釈をして納得したが、それはビースト・フィットネス社製のコンプレッションウェアを着用した影響だった。  ごく微細な変化だったため、気づかなかったのは当然だった。コンプレッションウェアは身体の動きに合わせて生き物のように伸縮を繰り返しながら、生地の内側から特殊な液体を分泌させていたのだ。  特殊な液体とは、“カンフル剤”とでも言うべきものだった。皮膚や毛穴を通して血管やリンパ管に浸透し、体内の各器官に運ばれていく。“カンフル剤”の作用として、頭の中には脳内麻薬と呼ばれるドーパミンやエンドルフィンなどの神経物質が生じ、結果として哲雄の中にやる気や快楽に近い感覚が芽生えたのだった。哲雄は、それがコンプレッションウェアの影響であるとも知らず、自然と前向きな思考ができるようになっていた。  三人は、アナウンス通りランニングから始めることにした。  ランニングマシーンの電源ボタンを押すと、パネルの液晶画面に《身体状態を正確にモニタリングするために、運動の前に測定器を首筋に当ててください》という文字があらわれた。測定器とは、パネルの下に取り付けられているICレコーダーのような電子機器のことらしい。 「こんなランニングマシーンは初めてだ」「そうですね」近平と悟志は楽しそうに会話していた。哲雄はランニングマシーンを使うこと自体、初めてだった。三人は液晶画面の案内に従って、それぞれ測定器を首筋に当てて《測定》ボタンを押した。測定器が赤く光ったかと思えば、首筋に鋭い痛みが走った。 「あッ」 「イテッ」 「うあッ」  三人は身体をびくッと震わせて声を上げた。測定器とは名ばかりで、実際それは注射器になっていたのだ。やや太めの針先が飛び出して、皮膚の下の首の神経の近くにビースト・フィットネス社製の特殊な液体が注入された。役割を終えた測定器はひとりでに外れて床に落ちた。 「何なんだよ、今のは……」哲雄はボヤいた。三人はそれぞれ文句を言いたい衝動に駆られたが、監視カメラで見られているため大声で毒づく訳にもいかない。  哲雄は汚いやり口でよく分からない注射をする会社に対して怒りと不信感を抱いたが、それはまもなくドクッドクッという心臓の高鳴りに取って代わられた。  注射器から注入された液体は、強力な“強精剤”の役割を担うものだった。哲雄は心臓の高鳴りを、自分は早く運動したくて仕方がないのだと勘違いした。そしてソワソワとして落ち着かない感覚を振り払うために、ランニングマシーンの上を走り出した。  近平と悟志もまた、いても立ってもいられない感覚に襲われ、最初から速度を上げてランニングを始めた。三人はムラムラと性欲が込み上げて軽く勃起してしまっていたが、お互いにお互いの股間を見て見ぬふりをして走り続けた。その頃には、会社に対して怒りと不快感を覚えたことはすっかりどうでもよくなっていた。  何だ、この臭いは……?   ふと、ペンキに含まれるシンナーを薄めたような臭気が鼻を突いた。哲雄はもしかして自分の汗の臭いではないかと疑ったが、どうも違う。その臭いを嗅ぐと、ただでさえ高まっていた性欲が刺激され、更にイチモツが硬くなるのが分かった。見て見ぬふりをするには股間がはっきりと盛り上がっていたため、哲雄は隠れるようにランニングマシーンの前を去った。  コンプレッションウェアは、人間の雄の汗に反応し、揮発性物質と似た独特な臭気を放出していた。鼻や口から臭気を吸い込むと、男性ホルモンの分泌を促進するように働き、性欲が更に増進されてしまうのだった。  我慢できねえ……。  哲雄は我慢しがたい性欲を鎮めるために、トイレで一発ヌいてから戻ることにした。しかし、電球の明かりの届かない暗闇の方まで歩いてもトイレらしき個室はどこにも見当たらず、ただ部屋の隅に剥き出しの洋式便器が用意されていた。その横の壁には剥き出しのシャワーが設置されていた。  刑務所みたいだ、と哲雄は思った。  いくら薄暗いとは言え、監視カメラで見られながら公開オナニーはできなかった。それでも相変わらず股間はムラムラして仕方ない。そんな時、ベンチプレスのマシーンが視界に入った。筋トレで性欲を発散して耐えたらいいのではないか、と哲雄は思った。  実際、今の自分なら何でも持ち上げられそうな万能感がした。哲雄はベンチプレスの近くに行き、試しに50キロ分のプレートを手に持った。なぜか、拍子抜けするほど軽く感じた。哲雄はベンチプレスのバーの両端に50キロずつプレートを嵌め込み、合計100キロのバーを持ち上げることにした。  決して初心者が扱う重量ではなかった。それも誰の補助もない状態で、ベンチプレスのバーを初めて握る人間なら尚更だ。バーを持ち上げきれなかった時、自分の首に100キロが圧し掛かるかもしれない――それはほぼ確実に「死」を意味する。  ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ……。頭が、腕が、胸が、股間が、太腿が、心臓の鼓動に合わせて脈打っているような感覚がした。深呼吸をした。失敗すれば死ぬかもしれないという恐怖とは裏腹に、絶対に出来るという根拠のない自信があった。  ――行け、行け、行け、行っちまえ……  哲雄の頭の中では、自分自身を囃し立てる声が響いていた。  近平と悟志は、ランニングの休憩に入ろうとした時、100キロを持ち上げようとしている哲雄に気づいた。その直後、哲雄は大きく息を吸い込んで胸を膨らませたままバーを挙げた。 「えッ?! はッ?!」  近平は驚きから素っ頓狂な声を上げた。  哲雄は思わず武者震いした。ぶわッ、と全身から汗が噴き出すのを感じた。100キロの重さが両腕に圧し掛かった瞬間、目の前が真っ白になるような衝撃を覚えた。ミシミシミシ、と腕と胸の筋肉が悲鳴を上げるのが聞こえた。食い縛った歯の隙間から息が漏れた。しかしその痛みを乗り越えると、一気に高く持ち上げることができた。  哲雄が力を込めてバーを持ち上げたのに応えるように、コンプレッションウェアはキシキシと音を立てて哲雄の身体をきつく締め上げた。血圧測定の腕帯よろしく凄まじい圧迫を受け、ドクンッ! ドクンッ! と心臓は爆発するのではないかと思うほど大きく脈を打った。  コンプレッションウェアは細かな伸縮を繰り返し、哲雄は100キロのバーを持ち上げることができるように筋力をサポートしていた。それでも、哲雄の肉体にもまた相当な負荷が掛かっていたのは事実だ。  哲雄は1回きりで済ませず、何度もバーを持ち上げた。  俺ってこんなに力持ちだったんだ、と自分で自分に驚いた。もちろん、ビースト・フィットネス社のコンプレッションウェアのおかげだという自覚はあったが、それにしても最高の気分だった。腹の底で熱量の塊が蠢いている感覚がし、そこから全身に力が漲っていくようだった。腕と胸の痛みはいつの間にか引いており、哲雄は限界まで自分を追い込もうと思った。 「なあ、初心者って絶対ウソだろ……」  近平はぼそりと呟いた。ベンチプレスの基本とされるポーズからは少し外れていたが、それにしても初心者がこれほどの重量を持ち上げられるとは考えられなかった。悟志は、「身体は細いのに、筋力が凄いんですかね……」と納得いかない表情で答えた。  二人は、固唾を飲んで哲雄の様子を見守った。  哲雄の眼には、近平と悟志のことなど入っていなかった。自分のことに夢中になって、二人の会話すらも耳に届かなかった。エンドルフィンやドーパミンの分泌が一定のラインを越え、筋肉の痛みはまったく感じなくなっており、クスリをキメた時ってこんな感じなのかな? と思うような、素晴らしい多幸感に溢れていた。  コンプレッションウェアは哲雄の大量の汗を吸収し、雄の本能的な性欲を刺激する独特な臭いを発散させた。近平も、悟志も、その臭いに反応して知らず知らずのうちに勃起していた。三人とも、理由が分からないまま強い性欲を覚えていた。  ズクンッ、ズクンッ、ズクンッ、ズクンッ、  コンプレッションウェアに身体を締め付けられる度、哲雄は腹の底の熱量の塊が巨大化していくような感覚がした。それはどこか性的な快感と似ていた。哲雄の股間は熱く滾ってギンギンにテントを張り、テントの先は先走りに濡れていた。  コンプレッションウェアは、そんな先走りもまた染みひとつ残さず吸収し、精液の成分を“成長剤”に変容させてから、ふたたび哲雄の肉体に送り返すのだった。ビュクッ、ビュクビュクッ。100キロのバーを持ち上げた10回目のタイミングで、哲雄はコンプレッションウェアの下で勢いよく射精してしまった。それもまた急速な勢いで生地に吸収されていき、哲雄の肉体には、その精液の量と同じだけの“成長剤”が送り込まれるだった……。 (続く) いつも応援いただき、ありがとうございます! 次回は今月(8月)の20日~25日の間に更新する予定です。次はいよいよ本格的な覚醒シーンになっていく予定です。 ※8/25 追記 予定よりも執筆に時間が掛かっています。勝手ながら、続編の発表は今月末か来月頭にずらしたいと思います。楽しみにしてくださる方には本当に申し訳ありませんが、もう少しだけお待ちいただければ幸いですm(__)m


Related Creators