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『被験体X』連載(1)

登場人物: 中嶋哲雄(なかじまてつや) 27歳 野村近平(のむらきんぺい) 27歳 田中悟志(たなかさとし)  24歳 *** (1)  正社員として三年近く勤めている居酒屋の店長から電話で呼び出された時、中嶋哲雄(なかじま てつお)は胸騒ぎを覚えた。いつもはLINEでやり取りしているのに、なぜわざわざ電話をしてきたんだ? しかも休日に呼び出すなんて、もしかして……。  嫌な予感は的中した。  店長はスタッフ用の喫煙所で煙草の煙を吐き出し、眉間に皺を寄せながら、「実はうち、来月いっぱいで閉店が決まったんだ」と淡々と言った。 「はあ……」哲雄はそう答えながら、頭がぼうっとするのを感じた。それからの店長の話は覚えていない。いま失業したら、パチンコにのめり込んだ時につくった借金を返済できなくなるのではないか? そんな不安で、頭の中がいっぱいになっていたからだ。  コロナ禍で客足が遠のき、売上が激減していたのは、日頃からキッチンとホールを行き来している哲雄の眼にも明らかだった。それでも、うちは個人経営とは違って全国チェーンの居酒屋だから大丈夫だろう、と気軽に考えていた。それが今回、売上の低い店舗を畳んで事業を縮小することに決まったようだ。  哲雄は一刻も早く安定した収入を得るため、業種を問わず時給の高い派遣の仕事に申し込んだ。しかし、コロナの影響により求人数が半減して競争率が上がったせいか、派遣会社の選考の時点で落とされることがほとんどだった。いままで接客サービスと工場の軽作業の仕事しか経験がないことがネックになった。  そんな時、哲雄のアパートの郵便受けに新規オープンのジムのインストラクターの求人広告が挟まれていた。ジムの利用が激減している時期に、新規オープンなんて馬鹿なんじゃないか……。そう思いながら、求人広告をごみ箱に捨てようとした時、《月給50万円》という文字がふと目に入った。  哲雄はチラシに釘づけになった。 ・未経験歓迎 ・実働7時間30分 ・残業なし ・完全週休2日制 ・月給50万円 ・研修期間も給料を保証 ・寮完備(食事付き)  破格の条件だった。  筋トレと言えば、気が向いた時に自重トレをする程度しかやって来なかったが、未経験歓迎なら俺にも希望があるはずだ、と哲雄は楽観的に考えた。これだけ良い条件が並んでいるのだ、駄目もとでも挑戦する価値はあるはずだ。  ただひとつ、《採用面接は合宿形式で行われます》という文面だけが引っ掛かる。合宿と言えば、ブラック企業のイメージが強いからだ。しかし、これだけ条件が良くてブラック企業なはずはない。哲雄は迷わず求人広告に記載されていた電話番号に電話を掛けた。  書類選考もなく、哲雄はそのまま合宿形式の面接に参加することになった。これだけの好待遇の会社で、書類選考さえないなんて今時めずらしい。合宿の行われる施設の場所については何も言われず、電話で教えられたのは施設に向かうための集合場所だけだった。 (2)  当日。  《面接に参加する際の服装は、動きやすい普段着で》と指示を受けていたため、哲雄は半袖ポロシャツにスラックスという、周囲の通行人と何ら変わらないラフな服装でいた。指定された公園の駐車場に辿り着くと、自家用の乗用車の列にまざって平凡な外観のマイクロバスが停まっているのが見えた。  マイクロバスの前に立っていた大男が確信めいた足取りで哲雄に近づき、声を掛けた。 「中嶋哲雄さんでお間違いないですね? 私、ビーストフィットネスの採用担当者、丸岡と申します」  言葉遣いこそ丁寧だったが、白いキャップを被り、真っ黒いサングラスを掛け、とても採用担当者とは思えないような風貌だった。ニメートルを超えるだろう身長で、今まで見たこともないような筋骨隆々としたガタイ。  哲雄は男の風貌と凄まじい体格に圧倒され、「あ、はい……」と答えながら後退りしそうになった。  事前に顔写真つきの履歴書を送っていた訳でもないのに、どうして担当者はひと目で哲雄のことが分かったのか。しかし哲雄はそんなことは気にも留めず、こんな凄いガタイの奴しか採用されないなら、俺には絶対に望みがないじゃないか? という絶望感にがっくりと項垂れていた。もうここで面接を断って帰ろうか、そんなことさえ思った。  今回マイクロバスに乗り込むのは、哲雄の他には二人だけだった。一人は野村近平(のむら きんぺい)、もう一人は田中悟志(たなか さとし)だった。全員、初対面だった。  近平は、採用担当の男ほどではないが、今まで筋トレを積んできたのだろうことが窺えるガッチリとした体型で、キリッとした一重の男前。悟志は中肉中背の日本人男子の標準に近い体型で、女受けの受けそうな甘い顔の持主だった。顔はともかく、悟志という自分と体型の近い参加者がいることに哲雄は内心ほっとした。 「全員で、これだけですか? もっと他にいるのかと思ってました」  近平が疑問を口にしたが、採用担当の男は、ははは、と笑い飛ばしただけだった。この会社は何かがおかしい。三人が抵抗感を覚えたのは、バスに乗り込んでからだった。採用担当の男は、マイクロバスの窓のカーテンを閉め切った後、 「はい、皆さんにこれを装着していただきます」  と黒色のアイマスクを配り出した。  さらには、「皆さんのスマートフォンは、面接の日程が終了するまでこちらでお預かりいたします」と言って、三人のスマホを回収した。三人は最初躊躇っていた様子だったが、一人が言われた通りにスマホを渡してアイマスクを装着すると、他の二人も同じように従った。 「到着しましたが、まだアイマスクは外さないでください」  哲雄は採用担当の男の声で目を覚ました。  どれくらい時間が経ったのだろうか? マイクロバスの小刻みな振動に揺られているうちに、視界が真っ暗なこともあり眠りに落ちてしまっていた。哲雄と近平と悟志はどこかの建物の中の一室に通された。バスを降りた時に鳥の鳴き声や葉擦れの音が聞こえたから、ここは随分と山奥の施設なのかもしれない。  ガチャリと鍵の掛かる音がした後、 『どうぞ、アイマスクを外しても大丈夫です』  というアナウンスが流れた。  三人はアイマスクを外した。数時間ぶりの光は刺激が強過ぎて、哲雄はしばらく目を開けることができなかった。だんだんと目が慣れてくるうちに、自分たちが何もない真っ白な部屋にいることが分かった。採用担当の男の姿は見当たらなかった。  とても小さな部屋だった。窓がないせいで息苦しい圧迫感があった。天井には監視カメラとスピーカーが取りつけられており、そこからさっきのアナウンスが流れたようだ。 『これから面接試験を始めます。各自、この場でコンプレッションウェアに着替えてください。それぞれサイズはありません。当社のオリジナルの特注商品で、どれを着ても身体に合うようにデザインされています』  三人は、壁のフックに掛けられていたコンプレッションウェアを手に取った。長袖シャツとレギンスが三着ずつ、色違いのものが人数分が用意されていた。哲雄にとってコンプレッションウェアとはあまり馴染みのない商品だったが、現物を見るに、身体のラインに沿ったトレーニング用のタイツに近い代物のようだ。 『注意事項として、肌着、下着類は装着せず、必ず裸の状態になってから着るようにしてください。肌着、下着類を装着したうえから身に着ける場合、本来のパフォーマンスを発揮できない危険があります』  三人は互いに目配せして苦笑いを浮かべた後、それぞれ自分の近い場所に掛けてあったコンプレッションウェアを手に取った。 「はは、これ、カメラに見られながら裸にならなきゃいけねェのかな? なかなか恥ずかしいね」「そうですね、さすがに……」哲雄と悟志はウェアを手に持ったまましばらくもじもじしていたが、近平が潔く着替え始めたのを見て、仕方がなく服を脱ぎ始めた。  哲雄は他の二人に背中を見せて慌ただしく着替えた。  裸になってレギンスを穿き、長袖シャツの上着に袖を通して感じたのは、その着心地のすばらしさだった。薄っぺらな生地かと思っていたが、意外としっかりとした厚みがある。裏地は短い起毛になっており、しかし起毛にありがちなチクチクした不快感はなく、むしろ大きな暖かな手に守られているような安堵さえ覚えるのだった。それは筆舌に尽くしがたい、今まで経験したことのない感触だった。  何なんだ、これは? と哲雄は思った。  どのウェアも黒を基調としているのは同じだが、ひとつひとつ異なる意匠が施されていた。哲雄のそれには肩と太腿の部分に銀色の短いラインが入っており、近平のそれには腕の外側と脹脛の部分にオレンジ色の短いラインが入っており、悟志のそれには胸と膝裏の部分に限りなく黒に近い茶色のラインが入っていた。  何より不思議なのは、各自どれを着ろと指定された訳でもなく、また三人ともそれぞれ体格が異なるにも関わらず、ぴったりと身体のラインに沿うことだった。背の高い近平にも、次に背の高い哲雄にも、そして三人の中でいちばん背の低い悟志にも、だ。  そう、まるでウェアが自分で判断してサイズを調整しているかのように……。いったいどんな最先端の技術が使われているのだろうか? 哲雄は驚きを隠せず、「おォ……」と感嘆の声を洩らした。  それは他の二人も同様だったようで、互いに違いのウェアを着た姿を見て、「本当にぴったりのサイズですね! どうなってるんだろ?」と目を丸くして褒め合った。  哲雄は、特注のコンプレッションウェアを着た途端、気分が高揚するのを感じていた。身体の底から熱が湧き上がるようだった。さっきまで会社に対して抱いていた不信感がどうでもよくなり、哲雄は思い切り身体を動かして発散したい衝動に駆られた。 『皆さん、着替えが終わりましたね』  ふたたびアナウンスが流れた。 『ここで皆さんに大事なお知らせがあります。コンプレッションウェアを着用された時点で、皆さんは当社の合格基準を満たしました。つまり、全員採用、ということです。おめでとうございます』  え? と三人とも耳を疑った。  しばらくしてから、「え、嘘だろ、マジかよ」と哲雄は呟いた。それは他の二人も同様で、お互いに顔を見合わせ、「今の話、マジッすか?」「やった!」「本当に? こんなことってある?」と喜びと困惑のまざった声を上げた。 『残りの合宿の時間は、皆さんの肉体改造に費やしたいと思います。我が社のジムのインストラクターとして相応しい姿になっていただくために、効率良く身体を鍛えることのできるプログラムを用意しました。どうぞ、隣の部屋に移動してください』  アナウンスの後、部屋の扉が勝手に開いた。 (続く)

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