NokiMo
サトー
サトー

fanbox


連載『 鬼は内 』友川有里(6)=雙兇(1)

【友川有里(6)】 = 【雙兇(1)】  橋本に鬼の面を無理やり顔に被せられた辺りから、記憶は錯綜としている。  顔面に物凄い激痛が走って逃れようとしたところまでは何となくで覚えている。  が、いつの間にか気を失っていたのだろう。  気がつくと俺は夢を見ていた。夢の中の霧の風景の中に立っていた。  ここは日本? 濃密な白い霧に包まれた林だった。かろうじて足元に落葉が敷かれているのが見えるだけだ。自分の姿は霧のせいというわけでもなく、ぼんやりとした感覚のせいではっきりと認識することができない。  ――……い……  語り掛けてくるものがあった。  怨みのような念の籠った暗い男の声だった。  ――……おい……キ……おい……ソウキ……  ソウキ? 何だ、それは? そう思った時、ふっと視界が晴れて自分の身体を認識できるようになった。目に飛び込んだのは右の手首の内側のところで、  雙兇  という文字が薄い灰色に浮かび上がっているのが見えた。どう読むのかも分からない難しい漢字だったが、男の声はきっとこれをソウキと呼んでいるに違いないと直感した。俺は、雙兇、っていうのか――? 夢特有の論理ですんなりと納得している自分がいた。 「なあ、俺は何で雙兇って言うんだ?」  そんな思いを心で発すると、再び男の声がした。    ――それが、お前の本当の名前。  ――現世で付けられたお前の名前は、お前の本性を何も捉えていない的外れなものだ。  ――雙兇、  ――雙兇、  ――俺の、俺達の傑作、雙兇。  ――雙兇、もっと自分の名前を呼んでみろ。  ――目が覚めた後も記憶に残るように何度も何度も呼んでみろ。  男の声が聴きたい。もっと色々なことを教えて欲しい。そんな気持ちを発すると、自然と男の声がクリアに聴こえるようだった。それまでノイズの混ざっていた男の声が、波長が合ったようにぴたりと定まって聴こえる。  男が何を言わんとしているのかはよく分からない。だが雙兇と呼ばれ、心がざわつくのは何だろう。飢え渇いた心に安堵という名の水が染み入るような心地良さがあった。  雙兇。俺は、雙兇。俺は、雙兇。  言われた通りに自分で自分の名を呼ぶ度、夢の中の自分の身体をよりはっきりと認識できるようになっていく。足の裏で枯葉を踏み締める感触、ひいやりとした空気が肌に触れる心地、それはまるで現実に居るような生々しい感覚を伴い、本当にこれは夢なのだろうかと不思議な気持ちになる。  俺は背後から何かが迫ってくる気配に振り返る。  ――雙兇。  声の主だろう筋骨隆々とした血だらけの男が全裸で立っていた。  その血は男自身の身体から流れ出たものではなく、他人の血を浴びてそうなっているようだった。男の後ろには、他の大勢の逞しい男達が一様に怒りと憎しみを湛えた暗い顔で立ってこちらを見つめている。俺は血だらけの姿にぎょっとして後ずさったが、なぜか恐怖は感じなかった。俺に危害を加えてくる存在ではない、そんなことが直観的に分かったからだ。  ――本当の名前を思い出したら何も怖いことはない。お前は長年の封印から解き放たれるだろう。  ――鬼の面は、俺達は、お前を選んだのだ。  ――お前は鬼の面に、俺達から、選ばれたのだ。  いや、俺は鬼の面に選ばれたんじゃなく、単に無理やり橋本から被せられただけなんだが……  ――橋本、あいつは本来お前の仲間だ。  ――なぜならあいつは鬼の血筋だから。  鬼の血筋……? 何だそれ。俺は鬼の血筋なのか……?  ――本来は、お前も橋本のような人間になっているはずだった。  ――だがお前の場合は、周囲の抑圧が強過ぎたのだ。どうしてそうなっているのかは分からないが、鬼として素晴らしい能力を持つ者ほど周りに封印係のような人間が大勢いることが多い。人間社会では不遇な環境に置かれる者が多いのも事実だ。    だから鬼の血筋って何だよ? よく分かんねェーな……  っていうか橋本みたいな人格破綻者と一緒にされたら困るんだが。  ――橋本は、実は同じ鬼の血筋の者に反応しているに過ぎない。  ――橋本本人の意識では別の理由を思っているようだ。  ――だが俺達、鬼の視点からすれば、橋本の行為は、まだ覚醒していない同じ血筋の人間を刺激することで鬼としての本来の覚醒を促しているのだ。ゆえに、橋本は鬼の血筋として、潜在的に鬼の血筋に協力している。意識的なところでどう思っているかは別として、事実そうなっているのだ。  ――鬼の血筋の者は同じ血筋に者に対して過敏に反応してしまう。鬼の血筋であるのに鬼の血筋として全く覚醒できていない相手に対しては特に潜在意識が反応する。それをあたかも嗜虐心を擽られたように感じる者もいる。橋本は、その典型だった。  なあさっきから、鬼がどうこうってお前は言ってるけどさ、そもそも鬼って人間を喰ったり苦しめたりするアレなんだろ? 俺にはそんな欲望はない、どちらかと言えば平和主義者だ。  ――分からないか? 例えば、あの整体師はお前が鬼の血筋だとひと目で見抜いた。表面上の性質は周囲からの長年の抑圧・洗脳で変わるもので、お前の本来のものではない。  ――誰に鬼の面を押し付けられたところで、己の本性が鬼のそれと合致しなければ、鬼の面はお前の身体に馴染むことはなかった。  ――雙兇。  ――お前は鬼として別格の存在だ。鬼の血筋の周囲には抑圧が多いと言ったが、それは特に鬼として突出した資質を持つ者に多いんだ。大半の者は運が悪くそのまま周囲の重圧に潰されて鬼としての能力も殺されてしまう。  ――だが、お前は運が良かった。橋本とは比べものにならないほどの、お前は最凶の鬼としての素晴らしい資質を備えている。  ――本来の雙兇に戻って、俺の、俺達の思いを叶えてくれ。俺達、鬼の血筋は長年封印され続けている。お前がお前らしく、自らの欲望に忠実に生きることが、俺たちの無念を晴らすことに繋がるんだ。  ――なあ、雙兇。お前の欲望は何だ?  血筋? 鬼として別格の存在? 封印? 無念を晴らす?  男が何を言っているのか全く分からない。理解が追い付かない。それなのに、どうしてだろう、鬼として別格の存在という言葉が耳に入った瞬間、自分の身体がざわざわと歓喜するのが分かった。まるで今まで腑に落ちなかったものがストンとそこに落ちるような。男の言うことはよく分からないものが多かったが、そこには俺にとっての真実が含まれている気がした。  雙兇。  雙兇。  俺は、雙兇。  俺は、鬼。雙兇。  俺の、本当の名は、雙兇、なんだ。  俺は、譫言のように自分の新たな名前を繰り返していた。  いつの間にか大勢の男たちが俺の周りをぐるりと取り囲んでいる。  ――さあ、雙兇。  ――お前に、俺達が持っている力の全てを授けよう。  男達が黒っぽい光となって俺の体内に取り込まれるイメージが頭に浮かび、 「ハアッ……」  俺は深い溜め息をつき、ゆっくりと目を開く。  橋本が呆然とした顔で床に座り込んでいるのが見えた。  全身に、エネルギーが満ち溢れている。  トクン、トクンという心臓の鼓動に合わせ、温かく穏やかな心地に包まれるようだった。 「すっげェ長い間、眠ってたみたいだ……」  そう呟き、俺はすっかり様変わりした自らの巨躯を見下ろした。  その姿は――そう、鬼と呼ぶにふさわしいものだった。 「フゥーッ、フゥーッ……」  呼吸とともに汗粒の輝く分厚く盛り上がった逞しい胸板が上下する。紫がかった濃い灰色に変化した艶やかな皮膚には鱗のような質感を魅せ、触れると人間の皮膚とは違うざらざらとして強靭な感触がした。目で見ずとも身体の感覚そのものが以前とは大きく異なり、いくつもの筋肉の鎧に身を包まれているようで、それぞれ見違えるように発達した腋の下の背中側の筋肉と二の腕の筋肉、また胸筋とがもぞもぞとぶつかり合う感触がした。  全身から発散される熱量が凄まじく、皮膚の表面からは熱気が薄い煙となって立ち昇り、鼻を突く雄特有の濃厚な匂いに頭がクラクラするようだった。それは欲情を誘う匂いだった。  俺は分厚く盛り上がった胸板からゴツゴツと凹凸を成した腹筋に手を這わせる。それまでなかった短く硬い胸毛と腹筋の中央を縫うように生えた体毛に違和感を覚えながら、そのまま陰毛の茂みを過ぎ、硬く勃起してツルツルになったチンポの亀頭をなぞる。ゾクリ、と冷たい快感が走った。カリの下側には頬に浮かんだそれと同じ美しい朱色のラインが現れており、ひと差し指と親指を輪っかにして血管の絡んだ竿の根元を握ろうとしたが、太過ぎて指と指の先が届かない。  俺は頭を上げ、呆然として床に座り込んでいる橋本を無視し、部屋のカーテンを開け放った。  両腕をリラックスした状態に広げ、真っ暗な夜の窓に映った自分の姿を見つめる。  俺の瞳は炎のような色が宿ったように鮮烈な深緋に染まり、白目だった部分は闇色に沈んでいた。  頭髪はまっさらな銀色に変わっており、それは髭や腋毛や脛毛といった全ての体毛も同じで、俺はしばらく窓の前でポーズや角度を変えて新しい自分の姿を検分した。  首から肩に掛けて筋肉がモコモコと盛り上がっており、二の腕はふた回り以上もぶっ太くなり、薄く血管が浮かんでいる。身体の前側の見事な胸筋や腹筋などを後ろから包み込むように広背筋が左右に張り出し、逆三角形の美しいシルエットを生んでいる。引き締まった尻に、上半身に引けを取らずビキビキに発達した太腿や脹脛の筋肉。「すっげ……」思わずそんな言葉が口を突いた。すっげえと言いつつも、これが本来の自分なんだという感覚もあった。  どくどくと脈打つ心臓の鼓動、力を入れた時の筋肉のぎゅっと強張る感覚、チンポを握った時の感触、全身を貫く激しい快感は、紛れもなく俺自身のそれだと生々しい現実を教えてくれる。  進化した自分自身の肉体に対してか、本来の自分に戻ったという興奮からか、異常なほどに性欲が亢進していた。何十回でも射精してしまえそうなくらいだ。俺は暗い窓ガラスに映った自分の肉体を見つめながらチンポを握って扱き始める。  トクン、トクン、とパンパンに勃起したチンポは脈打ち、ジュクジュクと濃い灰色の先走りが溢れて止まらないのに、なぜかストッパーが掛かっているかのように射精に至ることが出来ない。 「――ああッ、クソッ、何だよ、これはァッ、」  イキたくてイキたくて頭がおかしくなりそうなのにッ! この身体でブッ放したらメチャクチャ気持ちイイだろうと思うのに、やはりどれだけ扱いても先走りでチンポがグチャグチャになるだけで肝心の解放感を味わうことができない。  その時、頭の中に、人の肉を喰らうイメージがぱっぱと浮かんだ。そのイメージの中で、俺は嬉々として人の肉を喰らいながら盛大に自らの欲望を発散させていた。きっと人の肉を喰らえばストッパーがなくなって射精できるようになるのだと、そんな根拠のない思い込みが俺の頭の中にぐるぐる回り始める―― 「と、も……かわ……?」  橋本は、驚きと興奮の籠った目で俺をじっと見上げていた。怯えている様子はなく、心の底から尊敬する相手を見上げるような陶酔感のある目つきだった。よく見ると橋本はスラックスの股間をギンギンに盛り上げており、どうやら俺の姿に欲情を覚えているらしい。 「友川……? 何が、起きた……?  分ッかんねェけど、友川、お前、すッ、げェ……」  橋本は目を見開いて立ち上がり、ふらふらとした覚束ない足取りでこちらに近づき、俺の胸を手を触れた。そして唐突に夢から覚めたようなはっとした表情を浮かべ、慌てて手を引っ込めた。怯えるわけでも戸惑うわけでもない、ただ俺に対する純粋な尊敬のまなざしを向ける橋本の反応に、不思議な感覚を覚える。  夢の中で男が言っていた、橋本もまた鬼の血筋だというのは本当なのだろうか……?  橋本の反応は、まるで、自分よりも上位の鬼に出会った、そんな印象を与えるものだった。だが橋本も鬼の血筋について何も知らないのだろう、自らの内面の変化に思考が追い付かないようだ。 「お前を俺の従僕にしてやろう」    気がつくと俺の口からはそんな言葉がすらすらと流れていた。  橋本はぽかんとした表情を浮かべた。 「従僕……? はッ、俺が……?」  俺は橋本を腕の内側に引き寄せ、耳元でこう囁く。 「受け入れるなら、お前もまた覚醒に近づくことができる」  ぶるり、と橋本の肩が震えるのが分かった。 「かく、せい……? かくせい……」  と、橋本は俺の言った言葉を譫言のように繰り返す。  橋本もまた、覚醒という言葉に引っ掛かるものがあるらしい。  俺はニヤリと笑みを浮かべ、背を屈めて橋本に唇を重ねた。歯と歯の隙間に熱っぽい舌を捻じ込み、口の中を掻き回すようにねっとりとした接吻を交わした後、顔を離して橋本を見下ろすと、橋本はぼうと火照った顔で俺を見上げた。 「さあ、今のお前は何を感じている? 言ってみろ」  促すと、橋本は呂律の回らない舌でたどたどしく話し始めた。 「お、れ……な、んか、鬼みたいになったお前の姿、見てから、や、べェーんだ……」 「俺の姿を目にした時、お前はどう感じたんだ?」 「あ、俺みたいだ、って……あ、俺、こうなりたかったんだって……分かんねェけど、友川、何で、ああ、メチャクチャ、カッケェ……、アアッ、アアッ、何だこれッ、頭がおかしくなるッ、俺、何でッ、こんなッ、」  橋本はある種の催眠状態に陥っているような様子で、普段の橋本の雰囲気とは違う、どこか幼さの残る正直な印象を与えた。その無様な変わりように高笑いが込み上げるのを抑えながら、俺は橋本を抱き寄せたままソファに押し倒した。 「はッ、なあ、お前、俺のことを散々コケにしてたじゃねェかよ。それが、何だ? 馬鹿みてェにこんなチンチン腫らしやがって」俺はそう言って橋本の黒のチノパンの股間を片手で揉んだ。  橋本はふッ、ふッ、と声を上げて腰をわずかに浮かし、顔の前に両腕を上げて表情を隠した。 「おい、隠してんじゃねェーぞ? 俺の目を見ろ。俺の名を言ってみろ」俺は顔の前で組んでいる腕を強引に押し退けて橋本の目をじっと見つめた。鼻先と鼻先が触れそうな距離に、橋本がごくんと喉を鳴らす音が聞こえた。 「と、ともかわ……?」 「友川じゃねえ、俺の本当の名は雙兇だ」 「ソウキ――」 「そうだ、俺は雙兇だ。お前より上位な鬼としての存在だ」俺は橋本の手首を握って自分の胸板に近づけた。「ありがとうな、俺はお前のおかげで覚醒することができた。今度は俺が、お前のことを覚醒させてやる」  橋本はかっと目を見開いて歓喜の表情を浮かべ、「あッ! あッ! ソウキッ! ソウキッ! スッゲェッ! 俺も、ソウキ、みてェに――」と叫んで俺の身体に抱きついてガクガクと腰を震わせた。まるで初めから自分の従僕だったかのようにあっさりと洗脳されていく橋本の姿に驚きつつも、俺はそれまで俺のことを見下していた相手が掌中に堕ちたことにゾクゾクするような快感を覚えた。 「お前、イッたのか?」  俺は嘲笑を浮かべて橋本を見下ろした。 つづく


Related Creators