こんにちは、いつもお世話になってます。
先週から続いた旧作ひぐらしのなく頃に一挙放送「ひぐらしチャレンジ」は解が終わり、来週から業の放送が始まりますね。
一ファンとしては楽しみでもありながらサトコスキーとしては同時に不安も募ってしまうのが本音だったりします……。
また沙都子が叩かれるのかと思うと「気にするだけ無駄と理解っていても」決して気持ちの良いモノではないですからね。
特に今回のひぐらしチャレンジを機にひぐらしの世界に触れるであろう新規の人達に感動の余韻も冷めぬまま堕とす業卒はスパルタ過ぎると思うの……。
解釈は人それぞれであるコトはこの場では隅に置いて個人的な一番の懸念を言うならスタジオディーン制作で開発された、ひぐらしのメディア展開の代名詞となっているアニメが有名過ぎて今でも「ひぐらしはオリジナルアニメ」と思い込んで原作ゲームの存在すら知らない者も多いのに「解の祭囃しから業へ繋がるのが正史ルート」と思い込む輩が増えるのが一番嫌ですねー……。
さて、前置きはこの辺で本題に入ります。
ぶっちゃけ最初に結論から……
たまによく「沙都子は旧作時点で成長してない」「だから業卒の物語は必然」だとか少々目に余る非常に辛辣な評価を見かけるので沙都子スキーの私にしか恐らく綴れない、業卒の熱が冷めた今の視点から、沙都子の成長について思ってるコトをここで改めてぶっちゃけようかと…。
業卒アンチ?違いますよ。自分で言うのも何ですが私はかなり寛大な方だと自分でも思うぐらい業卒を一つの欠片として受け入れています(但し、外伝として、ですが)。
何度も言いますが私の中で業卒は沙都子の成長に冷や水をぶっかけただけの悲劇のエンターテイメントだと思っています。
そう称するのは作中でしつこいぐらいに原作者自身の他作品のオマージュが非常に多く見受けられたからです(特にうみねこ)。
もはやオマージュを通り越してひぐらしでうみねこ(ラムベルごっこ)したかっただけなんじゃないかと思ってます、要は竜騎士版りかさとウォーズですね。
成長?そう謡うなら何故魔女から卒業させてやれなかったの?なんで沙都子が鉄平の罪まで負う必要があったの?なんで沙都子に全うな一人の人間としての健やかな人生を歩む結末が許されなかったの?
仮にホントに沙都子の成長、ひぐらしの決着として描いたつもりであったなら、一から最後まで一貫して「ひぐらし」であって欲しかったです。
私はひぐらしが観たかったのであって、うみねこを観たかった訳ではありません。
沙都子の過去を猫箱に封じたままにするなら沙都子の凶行に対する報いや贖罪にもしっかりと触れて欲しかった。それが沙都子を堕としたせめてもの筋、救いというモノでしょう?
竜騎士はお疲れ様本にて、「運命の選択に悩むコトは当人以外には見えません。それを選択するまでにどれ程の狂気と悩みを抱えてきたか誰にも分かりません(要約)」と、まるでどこか他人事みたいなコトを綴っておられましたが、それがあの結末であると言うなら私は尚のこと業卒の結末を受け入れる事が出来ませんし、ホントに茶番劇も良いとこです。
ひぐらしは決して梨花ちゃまと沙都子だけの作品ではないんですから…。
以前に似た内容をTwitterでも呟いたコトがあるのですが、「沙都子は業卒を経て成長した」という解釈に私はホントに「要らぬお節介」だと言って譲りません。
何故なら沙都子は祭囃し時点で常に現在進行形で成長の真っ只中だったからだと思うからです。そうは見えないのも仕方ないコトかもしれません。「沙都子は助けられてばかりで上手くピック出来なかった」とそれは原作者も認めている事実で、故に今回の業に主人公として抜擢されたと思ってますが、しかしそれはあくまで
それが成長物語とは違うと思う私の根拠です。
そもそも旧作で取り残された沙都子の問題とは何?にーにーへの依存?それは梨花ちゃまへの依存と何が違うんでしょう?発症を抑える定期的な投薬?時間の問題です。そう、祭囃しでも消化出来なかった沙都子が抱える問題とはどれもいずれ時間と共に解決出来るモノばかりです……。
鉄平?リナ?言ってはなんですが必ずしも救われる必要あったんですかね?
別に救うなとは言いませんが、沙都子と関係ないところで勝手に救われてろと思います。
アニメ放送からの公式の悪ふざけにも見て取れるキレイな鉄平(笑)推しは何なんですかね?
原作者が鉄平を救いたいが為に沙都子が魔女に身を窶さなきゃならなかったんだとしたら呆れて言葉も出ませんし、ネットでよく見る「魔女にならないと梨花ちゃまと対等になれない」というのも欺瞞にしか聞こえません。
そもその程度の壁も乗り越えられない程二人の絆が浅いものとは思えませんし、「沙都子が魔女になるのではなく、梨花ちゃまが魔女を卒業することが大事であり、決してその逆はありえない」と私はもっとも声を大にして主張したいです。
親から愛されず周囲の大人達からも忌み子と蔑まれ虐待されてきた若干まだ十一才の幼い少女が劇中で、別の欠片で犯してしまった自身の過ちに苦しむ圭一に向けて発した彼女を象徴する名言です。
兄に縋るのを止められず甘え続け、追い込んでしまった末に天涯孤独と言っていい身になって尚、魅音や梨花など周りの助けを得ながら懸命に今を生き、過ちを自覚しこれまでの自分自身を悔い改めて前を向いている沙都子が紡いだ非常に良い言葉ですね。
私はこの言葉が「沙都子は成長していた」答えだと思っています。
業卒を経て「旧作の沙都子は真っ白だった」「純真無垢だった」とキャラ崩壊をよく揶揄されますが寧ろ間違いで、沙都子は旧作時点で既に真っ黒でした。
それは彼女が罪のない人生を歩んだ場合の賽殺し編を見ればより合点がいきやすいのではないかと思います。年相応と言えば可愛いらしいですが、まぁ中々の悪ガキですよね笑
養父を嵌めるために児相に嘘の電話をかけたり人を死に至らしめるトラップまで工作するなど、本編の沙都子は並の黒さではありませんでした。
それでも沙都子が清く真っ白に見えたなら、それは彼女がそうあろうと努力したから。
兄の帰りを胸を張って待つことの出来る人間であろうと己を磨き続け垢を落とし続けた紛れもない沙都子の懸命な努力の結果であり、それが沙都子の姿です。
だからこそ彼女は鉄平すら赦すコトができたのではないでしょうか?(私は赦しませんがね)
身も蓋もない話を承知で更に言うと、飽食の時代で生きている我々の価値観で昭和五十八年当時の沙都子の絶望と苦しみを真の意味で推し量れる訳などないのです。
重すぎる過去を背負いながら懸命に健気にそれで尚も子供らしい無邪気さすら忘れず生きていた彼女を「旧作の沙都子は成長出来ていなかった」と責めるのは非常に酷で傲慢で、とても悲しく寂しい考えだと思い今一度ここに沙都子への想いを綴らせて頂きました。
私は沙都子が大好きです。ずっと好きです。
これからもずっと沙都子の笑顔と幸せを傍で見守りたいです。
長くなりましたが今回はこの辺で締めます。
沙都子オタクの怪文書にお付き合い頂き、ありがとうございます!
お疲れ様でした!
ケイサト(さといも屋)
2022-06-05 10:43:42 +0000 UTCヤンス
2022-06-05 09:56:12 +0000 UTC