陽性症状と自分と社会
Added 2023-06-30 08:41:35 +0000 UTC自己実現が自分の目標だった。
労働などの義務をこなすよりそれは価値あることのように自分には思えた。
それで自己啓発本などを読み、自由ということが体現すべき目標となった。そして、自由には束縛からの自由と、到達への自由があり、ふり返ってみると自分にとっての到達は過覚醒、陽性症状への到達だった。
今、到達地点にあった、過覚醒、陽性症状が、自分の縛り、つまりシュウチャクになっている。
1秒でも長く陽性症状で見えるものを味わいたいという思いとカンペキに陽性症状を防ぐチリョウ体制があり、みんなを安心させはするが自分の魂が充足しないチリョウの道に人生の限界を感じそして、今回の自殺企図に発展したのだと思う。
今できることは隠しごとをしないことであると自分は思う。まとめると、自分は今、陽性症状こそ自分の本質的な自我であるとカイシャクしていて、その理解が社会との共存をはばんでると思う次第です。
現実的な話として、一生病院に隔離されてそれでよしとするか、治療を受けることを受け入れて外を歩ける自由を享受するか。
わがままな理想として、治療もしないのに、外出も自由な生活、というのがある。
少なくとも症状を発露させるまではそうやって暮らしていた。
統合失調症はドーパミンのカジョウホウシュツをずっと続けてリカンするという言説もある。
発症した以上、社会の倫理を守る上で、治療を受ける意志をもつことが大事なのかと思います。
その上で何か許されない症状の時に味わう、魂の充足感に代わるものを探さなければ自分の自殺は防げないということになる。
だから、次の自由の課題をこなす自分を、周囲の人には見守ってほしいです。