この美しい手と瞳のために
Added 2021-01-31 11:30:00 +0000 UTC一か月という短い期間はは、慌ただしくあっという間に過ぎ去った。王侯諸貴族ならば準備にももっと時間がかけられるだろうが、如何せん俺が招待されたのも急な話だろうし、元より辺境貴族たる俺に碌な猶予を与えられるはずも無かった。 王都にあるほとんど使われていない離宮へ従者を大至急送り、清掃その他諸々をさせ、その間にこちらは服の仕立て直し、手土産たる特産物の選定に従者の割り振り、合間を縫って秋以降の作付け準備。昼も夜もなく我が屋敷は忙しなかった。 「それももう終わりだな」 王都に向かう馬車に乗り込み、俺はそう呟いた。まかり間違っても王族御用達とは言えない質素な馬車だが、長旅の供となれば可愛く見えてくる。一応向こうからの迎えの使者ではあるが、まあ雇われたどこかの馬車業だろう。 「それでは、暫く開ける。俺の留守の間、頼んだぞ」 「畏まりました。それでは若様、道中お気をつけを」 「ん、お前たちもな」 見送りのイヴら女中にそう返し、馬車のドアを閉める。頷くと、向かいに座るクライネが御者に合図を送り、ゆっくりと馬車が動き出した。 「アイン様、よろしいのでしょうか。こんなに小人数で……」 クライネが少し不安そうに尋ねる。馬車の中には俺とクライネともう一人従者のロシェがいるのみだった。茶髪の緩いくせ毛とそばかすは、従者というよりも村の娘に近い印象がある。 「大丈夫だろう。質素とはいえ王族の紋がついた馬車を襲う野盗もいないだろうしな。向こうにはセバスらもいる。充分だ」 「若様、私からも一つよろしいでしょうか?」 クライネの横に座るロシェが軽く手を上げる。 「ん、なんだ?……というか屋敷でないのだしもう少し軽くていいんだがな……」 「あ、そうですか?ではお言葉に甘えまして。クライネは分かるんですけど、どうして私なんですか?イヴさん…は、屋敷の残るとしても、他にも従者いるじゃないですか」 俺が許可を出した途端にその辺の娘のような口調に戻るロシェ。セバスに見つかれば小言の対象だろうが、まあ気にする事じゃない。実際、こちらの方が楽だろう。 「あー……ロシェはうちでは若い方だろう?」 「そうですね。まだまだ新米です」 頷く緩いくせ毛。顔立ちにもまだ幼さが残る。確か17かそこらだったはずだ。最年少はクライネだとしても、充分若い。 「だろう?……包み隠さず言うと俺が楽だからだ。五日もかかる長旅で肩肘を張りたくない。ましてや屋敷の従者と違って傍付きだからな、四六時中一緒にいるのがセバスやらイブやらのように堅苦しくてはたまらん」 「なるほど……あれ、若様。私褒められてますか?」 「さあな?」 褒めてるつもりはあまりないが。 「ふふっ……」 「あークライネ、笑わないでよー」 「ご、ごめんなさい…」 ロシェの反応が可笑しいのか、クスクスと笑い声を漏らすクライネに不満顔のロシェ。ま、もう一つクライネと相性が良さそうと言うのもあるのだが、それはわざわざ言わんでもいいだろう。親心など口にするものでもない。 「ま、そういう訳だから二人とも、暫く頼むぞ」 「はーい」 「はいっ…畏まりました」 少なくとも、このやかましいロシェがいれば、クライネも退屈はしないだろう。俺もしばし羽を伸ばせるわけだし、人選は間違っていなかったようだ。 窓の外の流れる景色に目をやる銀髪とくせ毛を眺めながら、自分の判断を自賛した。 「今、丁度半分くらいですかね」 二回、宿場出の夜を終えた三日目の昼。順調に進んでいれば今頃はロシェの言う通り半ばを超えているだろう。問題らしい問題もなかったわけだし、ともすれば少し早いかもしれない。 カラカラと車輪が回り、少し小高い丘陵を進む。時間と行路からして、今は丁度オラノ領とソーシ領の辺りだろうか。と言ってもソーシは公爵だ。基本は王都に住んでいるだろうし、この辺りは農地という印象が強い。 どちらかと言えば俺としてオラノの森林地帯に興味があるが、今は寄ることはできない。王からの招待に遅れたとあれば、首が飛びかねないからな。 「どうかなさいました…?」 窓の外を眺めながらそんなことを考えていると、俺の視線に気づいたのかクライネが尋ねてきた。 「ああいや、オラノの森といえば薬草や香草の産地として有名だからな。少し気になっただけだ」 「若様、本当にお好きですよね。植物ですとか、そう言うの。詳しいですし」 ロシェが物珍しそうに外を眺めながら言う。そう言えばコイツは領の外に出た事はなかったか。 「まあな、趣味と実益だよ。それに知識の量で言えば、俺よりクライネの方があるだろう」 「そ、そんな事は…!」 「謙遜しなくてもいいだろう。事実だからな」 あたふたと否定しようとするクライネを制する。日々の勉強のおかげか、我が屋敷の書庫にある程度の知識ならば、クライネは俺とそう大差ない。その上、もともと幼い頃の知識があるのだから、勝てるべくもない。 「クライネは勉強好きだもんね~偉い偉い」 「ひゃっ、ロシェさんっ…!」 普段の侍従服ではなく、動きやすい麻の上下揃い服に身を包んだ二人がじゃれ合う。と言っても一方的にロシェがクライネに抱き着き銀の髪を撫でているのだが。 俺の見ることのない侍従たちの一面を見られた様な気がする。クライネも心なしか普段よりは気を張っていないように見えるしな。やはりロシェを連れてきたのは正しかった。 大体、実務周りなどどうせ向こうに既に控えているセバスが一から十までやるのだから、俺の選定はあまり意味がない訳だ。気楽で良い。 実際、屋敷の中でクライネが他の侍従に可愛がられている場面はあまり見ない。意図的に見せていないようだが、その辺イヴらはしっかりしているからなあ……。 「あ、若様。聞いても良いですか?」 「ん、なんだ?」 クライネに抱き着いてむにむにと体を揉みしだきながら俺に顔だけを向ける。この二日ですっかり従者としての礼節だの作法だのは消えうせているな…。俺が楽にしろと言ったのだが、羽を伸ばすのが上手いと言うべきか。 「若様ってクライネとご結婚なさるって本当ですか?」 「…は?」 「ロッ…ロシェさんっ…!何を言ってっ…!」 ロシェの腕から逃れようとしていたクライネが固まり、珍しく大きな声をあげる。褐色の肌にもわかるくらいに顔が赤くなり、尖った耳の先まで色が変わっている。 しかし、当のロシェは至って普段通りの顔で、クライネを抱きかかえている。 「えー、皆言ってますよー。若様がソーシ公爵のお嬢様を返した時とか、若様はああ見えてクライネを溺愛してるからだーって」 「はは、溺愛とはまた…的を射ているな。ま、あながち間違ってもいない」 「アイン様っ…お戯れをっ…!」 「きゃークライネ真っ赤ー。可愛い~」 猶の事顔を赤くし、ほとんど硬直したクライネをまるでぬいぐるみのように抱きしめるロシェ。上背はロシェの方が上だが横幅も体重もクライネの方が上だろう。 子どもが大きなぬいぐるみを抱いているようにも見える。麻の服に胸や腹のシルエットが浮かんでいる。柔らかい感触が俺の手の平に蘇る。 「あー、ほら、放してやれ」 「はーい。…それで、どうなんですか若様?」 くすぐったかったのか、それとも激しく動いたからか、クライネは息が切れて髪もところどころ顔に張り付いている。手招きをすると、一瞬体を強張らせたがすぐに俺の側に寄ってくる。逃げてくるようにも見えるな。 「溺愛しているのは事実だ。それは認める」 クライネの銀河のような髪を手櫛で整える。俺の横にぴったりと膝を合わせ座るクライネはどこか緊張しているようだ。…ぴったり膝を合わせると言ったが、太ももの肉付きがよいせいで、微妙に不格好だ。 「やっぱりー!じゃあ若様、ゆくゆくはクライネを?あ、クライネ様って呼んだ方が良いですか?」 「ははは、そうしたら思い切りこき使われるぞ?」 「ア、アイン様っ…!私は、そんな事っ…!」 俺の手櫛を受けている手前動くことも出来ず、クライネがもどかしそうな顔をする。 「まあ落ち着け。可能性の話だ。有り得なくはないだろうな、知識もある、気心も知れている。セバスはあまりいい顔はしないだろうが、アレはアレでお前の事を買っている。悪くはない話だろう」 「あぅ……ですが……」 「ま、少なくともあと十年は先の話だがな。ロシェ、お前もあまりクライネをからかうんじゃない」 「はーい。だってクライネ。十年経ったら若様が貰ってくれるって」 「~~~!!ロシェさんっっ……!」 クライネが怒髪天を衝くような表情をしたが、如何せん幼子が怒っているように見えて俺もロシェも笑ってしまった。 そのせいか、クライネはどうにもムスッとした表情を浮かべている。何とも珍しい顔だ。コイツが不平不満を顔に出すのなど初めてかもしれん。 結局、少々不服そうなクライネのご機嫌をとりながら、一度の馬替えを終えてこの日は宿場に着いた。 もう完全にソーシ公爵領だろう。という事は即ち、王都も近いという事だ。と言っても広大なソーシ公爵領は横切るだけでも丸一日は優にかかる訳だが。 「アイン様、お茶が入りました」 「ああ、わかった」 宿場町で買った南方の書から目を離し顔を上げる。クライネが、テーブルに茶を運んでくる。ロシェは買出し中だが、そろそろ戻ってくるだろう。 「ん、いい香りだな。珍しい」 「はい、そちらは南方で採れる果実の葉を煎じた物らしく……お口に合いますか?」 「ああ、美味い。祝宴は面倒だが、こう言うものを買えるのは悪くないな」 「そうですね…。クライネも、新しい物、沢山見ることができてとても楽しいです」 「そうか、なによりだ」 そのまま、いつものようにクライネを膝の上に抱く。コイツを買ってからはこうやっていることも多かったからか、クライネも特に抵抗なく俺が手招きをすればポットを机に置き俺の膝に乗る。 肉がついた体は重く、尻が大きく育ってきたこともあって腕で抱えないと落ちてしまいそうだ。体つきも、太った事だけでなく女性らしさを帯びてきた気がする。 まだ12と言うべきか、もう12と言うべきか。どうにも、ダークエルフの体の成長は分からんな。 机の上に置いてあった菓子をクライネの口に運ぶ。うちの屋敷で食うような野暮ったい物ではなく、砂糖と蜜とをふんだんに使っている様な代物だ。 俺には甘すぎるが、クライネは美味しそうに口をもぐもぐとさせる。 そのまま、茶を啜りながら外を眺める。屋敷とは、景色が随分違う。舗装された道に行きかう人々、クライネの服に付けた頭巾がなければ、きっとひどく目立っただろう。 「……ふぅ」 「ん?どうかしたか?」 「あ、いえっ……何でもありません…!」 小さなため息を漏らしたクライネに尋ねても、わかりきった返事が返ってきた。 こいつは、いつまで経っても遠慮ばかりだな。 「クライネ、もう一度聞くぞ。どうかしたか?」 「……申し訳ありません…。少し、昔の事を思いだしていました……」 「昔……王都に行くのは、気が乗らんか?」 思い返せば、コイツはあそこにいい思い出など無いだろうからな…。俺の失態だ。 そう思ったのだが、首をふるふると振るクライネ。どうやら違うようだ。 「い、いえっ…、そういう訳では…………。……アイン様は、クライネがどこで生まれたのか、ご存知でしょうか?」 「……そういえば、聞いていなかったな」 「…クライネは、……クライネたちはあの森の奥で暮らしていました…」 「あの森……オラノの森林地帯か?」 俺が尋ねると、クライネは小さく頷いた。……知らなかった。意図せずして、俺たちはクライネの故郷を通り過ぎていたわけだ。 「……森に戻りたいか?」 「いえっ…!そんな事はっ…ありません。アイン様のお傍が、クライネの居る場所ですから」 郷愁に駆られたわけではないようだった。クライネの否定からは嘘の気配は微塵もない。 銀の髪を撫でつけるように膝に乗る少女の髪を梳く。くすぐったそうにクライネが目を細めた。 「それならば、どうした」 「……少し、思ったのです…。私が、お母様に捨てられる事無く…あの森で今も暮らしていたら、どうなっていたのだろう…と。きっとこのお茶も、お菓子も…何も知らないまま長い時を生きたのだろうと……」 クライネの言葉は、尤もだった。元より国同士で僅かながら交流があるエルフと違い、ダークエルフは数も少なく、その上愛玩動物としての人気も低い。人間と一生関わらない者が居ても不思議はない。 クライネが、今俺の元にいるのも偶然が重なった産物に過ぎない。それを善しとするかどうかは、まだわからない。 膝に乗るクライネの手を取った。水仕事と畑仕事、雑事で鍛えられた働き者の手。俺とクライネの時間の証でもある。 「……クライネ、お前がどこで生まれていようと、今俺の元にいることに変わりはない。それでは、いけないか?」 クライネの頭を少しだけこちらに引き寄せる。体はほとんど密着し、赤子を寝かしつけるような、或いは蜜事のような姿勢になる。気にはならない、コイツがここにいるのは俺の中で当たり前なのだから。 「お前がどのような産まれだろうと、今ここにいる。それだけでは不満か?」 クライネの碧い瞳を覗き込む。この瞳のせいで今コイツがここにいるならば、この碧眼すら奇跡の産物に思える。 「……いえ、いいえ…クライネは、それだけで幸せにございます」 その瞳をゆっくりと閉じ、首を振って俺に体を預ける。少女のものにしては随分と重たい体が、俺の腕の中に納まる。柔らかい肉体に俺の指が沈んだ。 あの、細くやつれ死にそうだった少女が、今抱えると少し苦しく感じるほどふくよかに育っている。少なくともそれは事実で、間違っていないように思う。 しばし、二人とも言葉を交わす事無く抱き合ったまま、ただ外を眺めていた。屋敷とは全く違う景色。これからも、あの家だけではない景色をコイツに見せてやりたいと、思ってしまう。 「ただいま帰りましたー!すっごいですね、見たことないお菓子とか果物がいっぱいあって…………」 ドアがノックもなく開く。両手に麻袋を抱えたロシェが意気揚々と帰ってきて、俺たちを見て制止する。 「ロッロシェさん…!これはっ…そのっ…!」 同僚に見つかったのがよほど恥ずかしいのか、わたわたと身動きをするクライネ。しかし幾ら平均的な少女より重たいとはいえ、膝の上に乗るコイツを取り落とすほど柔な男ではない。腕で落ちないように支えながら俺はロシェを手招きする。 「帰ったか。遅かったな。お前も少し休んだらどうだ?」 「…………私お邪魔じゃないですか?良いんですよ?お二人で思う存分愛し合っていただいて」 「ロシェさんっ!」 おお、クライネの大声など珍しい……いや、この旅程で何度か聞いたな。 「あのっ、アイン様っ…クライネはそろそろ……!」 「ん?俺の膝の上は居心地が悪いか?」 「いえ…決してそのような事はっ…!ああ…ですが…!」 あたふたとするクライネに、俺とロシェが揃って笑い声を上げた。 郷愁など、不安など、笑いとばしてしまえばいい。これから先、いくらでも。 もちろん、拗ねたクライネ相手に目新しい菓子や食事で機嫌取りをすることも、忘れてはいけない。