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恋とはどんなものか

「若様、また隠れてクライネに菓子を食べさせましたな?」 雪解けの頃、白髪の増えたセバスが渋い顔で俺を詰める。 「ははは、隠れてなどいないさ。俺の部屋を掃除した褒美をやったまでだ」 「そういう問題ではないと…」 北から買った芋はどうやら冬を越えられたようだ。俺は収穫が終わり空いた畑に植える新たな芋を見繕っていた。俺は種芋の様子を見る。うむ、この調子ならそろそろ種付けだろう。 小さな畑に昨年とは別の種を植え、生育状況の調査だ。クライネにも手伝わせよう。 「若様、聞いておられますかな?」 「あー、なんだ。別に良いではないか、たまに菓子を食わせるくらい」 それともまさか自分も食いたいというわけではあるまい。そうならば笑い飛ばしてやるところだが。 「若様は偶でないから申しているのです。菓子だけではありません。余った食材やらまで調理させて食わせていると聞き及んでおりますが?」 「ああ、まあな。勿体ないではないか、まだ食えるものもあるというのに」 だいたい、俺が食う量などたかが知れているというのに調理する量が多いんだ。父の頃も思ったが、貴族の食事というのは何故ああ希少部位だの、美味い所だけだのといった贅沢な使い方をするのか。飯などそれなりに美味くて食えれば十分なのに。 「それに給仕長は喜んで料理しているぞ?」 「そういう問題でもございません」 「ではなんだ?言ってみろ」 俺の問いかけに、セバスは更に渋い顔を浮かべた。そしてわざとらしくため息を吐く。 「若様は、クライネを見て何も思いませぬか?」 「……気にするほどの事でもないだろう」 「ご理解は、して頂けているようですな」 セバスの言いたいことは、まあ大方見当はつく。 ガリガリと痩せ細っていたクライネに対して、俺がセバスの言うとおり色々と間食をさせているのは事実だった。 元々、痩せ細っていたクライネは、その甲斐もあって今は見違えるようだった。 ダークエルフという種族は、もともと栄養効率が良いのかもしれない。 「はっきり申し上げて、今のクライネは少々太り過ぎでございます」 「はは、あのくらい何ともないだろう」 と返しはしたが、確かにセバスの言うこともまあ一理ある。 冬になる頃のクライネは、まだ年頃の少女といった体型だったが、一冬越えた頃にはすっかり丸っこいふくよかな体格になっていた。 痩せ細っているに比べればずいぶん健康的で良いじゃないか、と思うのだが、セバスとしてはそういう訳でもないのだろう。 「クライネは仮にも若様の召し抱えている従者にございます。それがあのようにだらしの無い体型では示しがつきませぬ」 「示しと言ったってな、俺は別に見栄を張る気もないんだがな…」 「そうは行きませぬ。冬も明け、若様とて縁談なり社交の場なりにお出になることでしょう。その時に奴隷を召し抱え、あまつさえ不摂生を許しているとなれば…」 「あーあーわかったわかった」 長々とセバスの説教が始まりそうだったので少し無理矢理だが俺は言葉を切らせた。 「で?まさか俺に小言を投げるためだけに来たわけじゃないだろう?」 「……実は少々厄介な縁談が…」 「厄介……?」 はて、縁談などどれも厄介極まりないが、俺に早く嫁を娶れと常日頃から言っているセバスが厄介というのはどういう事か。 俺の表情で言いたいことは伝わったようで、セバスが子細を話し出す。 「若様に縁談が舞い込むのは常の事でございます。この地は領土も広く、若様のお陰もあって食料も安定しております故。……ただ、所詮は辺境伯爵家。どれほどの方であろうと地方侯爵が関の山でございます……ございました」 「……なるほどな。で、どこだ?」 「ソーシ公爵の三女にございます」 「ハッ、それは本当か?」 思わず鼻で笑う俺に、セバスは至って真面目な顔で頷く。 ソーシ公爵家は王家にも所縁のある大貴族。 いくら三女とはいえその娘であれば俺とは身分違いも甚だしい。 公爵家が本気を出せば、この俺の爵位など領地ごと軽く吹き飛ぶようなものだ。 「で?何を気狂いしてそんな事態に?」 「私にはわかりかねますが……いかがいたしますか?」 「無論断る……とも言えんよなぁ、流石に…」 公爵家の機嫌を損ねるのは流石に俺とて本意ではない。とはいえ知らん貴族と婚姻を結ぶなど死んでもご免である。 「さて……どうするか……」 セバス共々、二人して唸りながら頭を回したが、結局うまい考えはこの日はついぞ思いつかなかった。 「アイン様?お体が優れないのですか…?」 その日はまさに春の陽気というような気候だった。珍しくテラスで茶なんぞ飲んでいる俺に、給仕をするクライネがそう尋ねる。 「いや…少しな。体は大丈夫だとも、それよりほら、クライネも食べるといい。なかなか美味いぞ」 春一番で取れた花の香りをクリームに練り込んだタルトは、仄かな甘さが良い。 厨房の連中が最近殊に甘味のレパートリ―を増やしてきたのは、俺がクライネに食べさせているせいかもな。 「しかし…セバス様に…」 「セバスより俺の方が上だと言っているだろう。ほら、口を開けろ」 体型の事で釘を刺されたのだろう。クライネが一度は俺の誘惑を拒んだ。しかしその目がこのタルトを捉えて離さないのを見逃すはずがない。 しばしの逡巡の後、クライネは口を開け、俺の指からタルトを食べる。 小さな口をもぐもぐと動かし幸せそうに甘味を頬張る様はなるほど、俺以外が餌付けをしたがる理由も頷ける。 あっという間にタルトを食べ終えたクライネは、ハッとして少し俯いた。 「また、食べてしまいました…。今日はお夕飯を少し減らします…!」 「ならん」 「ですが…」 俺の言葉に食い下がろうとするクライネ。セバスめ、俺の目の届かぬところでクライネに何か言ったな。 「ほら、こっちへ来い」 まるで女を侍らせる悪徳領主のように、給仕服のクライネを引き寄せ、膝に座らせる。 胴回りは…少々弾力はある。膝にかかる重量も少し重い。しかしまあ、肉付きの良い女ならばこんなものだろう。 「ア、アイン様…!」 「痩せるような事は俺が許さんぞ。というより女はふくよかなくらいが丁度いいんだ。セバスが何を言ったか知らんが気にするな」 やや高い体温を膝に乗せながらクライネに釘を刺す。 始めに見た頃に比べれば随分と丸っこくはなったが、女性的でちょうどいいだろう。 「それにな、俺はお前にはあまり我慢などして欲しくない。俺は、俺の手にあるものにはそういう事をさせたくないんだ。これでもお前は…俺の唯一の所有物なんだからな」 「唯一…?アイン様は、お屋敷も、他の給仕の方々も…」 「アレは俺の物ではない。この家の物だ。俺が、俺の意志で、俺が欲しいと思ったのはお前だけだよ。だから、お前くらいは俺の好きなようにしても構わんだろう」 ペットを抱き寄せるようにクライネを抱き寄せる。あの時とは違い、しっかりと脂肪の感触がして、爽やかな香りがする。銀河のような髪の毛を撫でつける。 「ひぅっ…!」 「はは、くすぐったかったか?」 身をよじるクライネ。膝の上で少々動いたくらいでは腕をほどきはしない。 「ほら、もう一つ。美味かっただろう?」 「……アイン様は、意地悪です」 生憎、性格が悪いのは生まれつきだ。 少しムスッとしたクライネの口に、もう一つタルトを咥えさせる。今度は、嫌がることも無く口を開け、そしてまた顔を綻ばせた。 「本当に来るとはな……こんな辺境まで」 結局、公爵の機嫌を損ねることなく縁談を断る上手い言い訳など思いつくはずもなく、公爵家の三女がわざわざこんな辺境まで足を運ぶ事となった。有り体に言って見合いだ。 「若様。念を押すようですが、くれぐれもお気を付け下さいませ。相手はなにせソーシ公爵家のご令嬢ですからな…」 「善処はするさ。さて……どうなるか」 現在応接間には俺とセバス、そしてクライネが控えている。イヴをはじめとしたメイド達は屋敷の方々だ。無論、ソーシ公爵家からくる馬車にも一人同席しているはずだ。 「あのっ…本当に私がここに居て、よろしいのでしょうか…?」 「構わん。クライネは俺の専属だ。第一、お前を蔑ろにする奴などいくら積まれても婚姻書を破り捨てるわ」 なにより、クライネには悪いがこの場に置いておけば幻滅される可能性も少しは上がるだろうしな。 なにせダークエルフが給仕の衣装を身に纏っているのだから。眉をしかめるくらいはするだろう。 セバスは渋い顔だが、コイツとて大きすぎる権力である公爵家との婚約は望むまい。 鬼が出るか蛇が出るか。 コンコンという控えめなノックの音を聞きながら、俺は一度大きく息を吐いた。 「お初にお目にかかります。ソーシ公爵バウムが三女、クロワと申します。本日は急な来訪を快く承諾して下さり、誠に嬉しく思います」 堅苦しい挨拶とともに腰を折った彼女こそ、目下悩みの種であるソーシ公爵家の三女だそうだ。 年の頃は16と聞いていたが、それより更にいくつか幼く見える。 小柄な体躯を包む明らかに素材の良いドレスや、丁寧に整えられた髪や真っ白く細い指先に、この者が上流階級であるという証左が見える。 俺は一応屋敷の主で伯爵その人であるのだから、いかに公爵家と言えど娘である彼女の方が謙るのが道理ではある。 それを抜きにしても、なかなかに礼節はわきまえているようだが。 少なくとも、クライネを見た途端騒ぎ出すようなことはなく、少々肩透かしである。 「こちらこそ、こんな辺境にようこそおいで下さった。私がファート伯アインだ。して、本日はなにゆえこんなところまでお出でかな?」 わかりきった事を聞くがこれもまあ礼儀のようなモノだ。 まさかいきなり縁談がどうのなどと話し始めることもあるまい。 「はいっ。以前から私、ファート伯爵候と個人的にお会い致したくて…!それに、ファート領にも興味がありました…!」 少し頬を染め、やや高揚した様子で語るクロワ嬢。さて、いったい俺の何が琴線に触れたのか…。 「それは、光栄だ。しかし、私と貴女は初対面だったと記憶しているが…私のような若輩の事などどこでお聞きになったのかな?まさか、王都では私の悪評でもたっているのだろうか」 「初対面……」 今度は急に悲し気な表情をする。年若い少女とは皆こんなに表情がコロコロ変わるものなのか?というか、何故悲し気な表情をする。初対面に間違いないだろう。 「そう…です。…ファート伯爵候のお話は、以前王宮のサロンでお耳にしまして…」 「それはまた、王都の女性方の噂になるなんて光栄の極み。して、どのような?」 「…………そんなことより伯爵様。お屋敷の中を、案内して頂けませんか?」 クロワ嬢しばしの沈黙の後、そんなことを言い出した。 一瞬目を丸くしたが、まあここで会話しているよりはマシかもしれない。何より、この屋敷の質素な様子を見れば、考えも変えるやも知れないからな。 「ああ、構わないとも。では、どこから参ろうか?」 「それでは……」 まさか、いの一番に向かいたがる場所がこことはな。 「ここが、伯爵様の……」 「ああ、私の農園だよ。と言ってもここは研究用で、屋敷の裏にある農場が主であるがね」 クロワ嬢が向かいたいと告げた場所は、俺の私的な農園だった。王都では庭いじりでも流行っているのか? 「こんなところ、見てもつまらないと思うのだが」 「そんなことは……! 私には、とても珍しく…興味深いです」 しげしげと畝を眺め、物珍しげに種を眺める様は、確かに言葉通りに思える。普段から触っている身としては、さほど珍しくもないのだがな。 しかし、何が目的でわざわざこんな辺境伯に縁談まで持ちかけたのか、その理由は皆目検討もつかない。 視線をきょろきょろと彷徨わせるクロワ嬢からは、もちろんなにもわからない。 そのまま半刻ほどしただろうか。言葉こそ重ねたが、上辺だけの会話も腹芸も俺にはどうにも不得手だ。 「……そろそろ屋敷に戻ろう。茶と菓子を用意させる」 「は、はいっ…!」 やはり、直接聞くほうが良さそうだ。 クロワ嬢をテラスの方へと案内する。道中、屋敷の中を窺うようなクロワ嬢の視線は、何かを探すという感じではなかった。 クロワ嬢を連れて出たテラスには初夏の風が吹いていた。太陽の光は丁度大木の木漏れ日となり、暑さはあまり感じない。時折吹く風は気持ちよく、クライネが運んできた茶にも、爽やかな柑橘の香りがする。 セバスとクライネを下がらせて、クロワ嬢の従者にも少々席を外してもらい、クロワ嬢と二人きりになる。 これなら、何を話しても聞かれるまい。 「さて……それで、私についてどんな話を聞いたのかな?」 俺の言葉に、茶器を手にしたクロワ嬢の手が止まる。 「伯爵様…?」 「ああ、驚かせて申し訳ない。だが、やはり妙だ」 俺の言葉にクロワ嬢の表情が訝るようになる。 「…失礼を承知で尋ねるが、ソーシ公爵閣下のご息女が、いったいどのような経緯で私なんかに目を付けたのか。それが、知りたい」 この数刻で、クロワ嬢が癇癪を起こしてソーシ公爵に直訴するような性格でない事は十分理解できた。だから、こそ、こうやって腹を割って話そうと思う。 「私は……ただ、伯爵様の功績に興味があって…」 「はは、それはありがたいが。けれどそれだけでこんな辺境に来るとは思えない。それにそもそも、私のことなど王都で話題になるとも、な」 彼女が自分の意思でこちらに出向いてきたのは、なんとなくその様子から察せられた。 けれど、原因が不明では少々以上に気持ちが悪い。 「……覚えておいででないのですね」 「ん?」 クロワ嬢からどんな言葉が飛び出すかと身構えていた私は、その言葉にやや虚を突かれた。 「申し訳ないが…覚えていないとは?」 「……五年前、私は伯爵様にお会いしております」 五年前…?土地の開拓が一段落し、ノウハウと商業ルートを求めてそういえばいくつかのパーティーに出席したが。 「……もしかして、シューク侯生誕50年のパーティーか?」 そう尋ねると、クロワ嬢は静かに頷いた。 たしかにあの日、少しテラスで休んでいた俺に声をかけた少女がいた。 どこかの息女だろうから、それなりに優しく接したつもりだが。 「そうか…初対面ではなかったのだな…。それは、とんだ失礼をした」 「いえっ…そのようなことは…!それに私も、あの頃はほんの子供で…」 なるほど…。あの時俺を知ったのならば、多少は情報の集め方もあっただろう。それこそ、シューク侯とは未だに付き合いがあるわけだし。 だが、それがなぜ縁談という話に発展するのか。そこが未だに不明だった。 「そうか…そうだったのか。いや、私達が知己であったのは理解した。だがなぜ…」 まさか本当に俺に好意があるわけでもあるまい。 「…それは、父に無理を言って…。わたしは、ファート伯爵様のことがあれ以来ずっと気になっていまして…。他の貴族の方よりもずっと年も近くて…それにお優しくて…」 「……仮に、仮に君が本当に私に縁談を持ちかけているとして、だ」 言葉をはっきりと区切って言い聞かせるようにクロワ嬢に告げる。 彼女は、まるで罪人のように俺の審判を待つ。 「私はやはり、土塊が触れない貴族の淑女を迎えることはできないよ」 クロワ嬢が一度大きく息を飲み、俯いた。 彼女は確かに、俺の活動に興味があったのだろう。けれど、結局は触れることすらできなかった。 そのことはきっと、彼女が一番理解しているのだろう。 わかっていたと言ったような顔で、頷いた。 「……今日は、お時間いただけてとても嬉しかったです…。…いつか、私が土も泥も触れるようになったら、その時はもう一度、お会いに来ても宜しいでしょうか…?」 「…ああ、いつでも構わないとも」 そう返すと晴れやかな笑顔で彼女は笑い、そして従者を呼び席を立った。 見送りは、結構と言われてしまった。 「よろしかったのですか」 「セバスか、…ああいいさ。あとはソーシ公が話のわかる人物であることを願うよ」 きっと大丈夫だろうと、クロワ嬢を見て思ったがね。 「……クライネを呼んでくれ」 「かしこまりました」 なぜだか無性に、クライネの顔が見たくなった。きっと許してほしいのだ。身勝手な俺を。 「なあ、クライネよ。俺は正しかったのか」 「…私には、よくわかりません……ですが…アイン様がお決めになった事なら、きっと正しいと…クライネはそう思います」 「……そうか、ありがとう」 俺は卑怯だ。クライネならばそう言うとわかってて、彼女の事を呼んだのだから。 「それに…アイン様が、他の女性と伴侶になるのは……少し、嫌でした」 「クライネ…?」 だが、不意の一言は存外驚かされる。一方で、自分が何を口走ったのか理解したのか、クライネは慌てて頭を下げた。 「し、失礼しました…!」 そう言って下がろうとするクライネの腕を取った。咄嗟だった。 「待て、別に不快になど思っていないさ。…それよりどういう事か聞きたい」 「それは…その…!」 クライネが俺の視線から逃れるように瞳を右往左往させる。顔を動かす度に銀河のような髪が陽光にキラキラ光る。 「前にも言ったがな、俺はクライネには出来る限り我慢も、遠慮もさせたくはない。だからクライネが嫌だと言ったことの本質を知りたい。わかるか?」 クライネの事を引き寄せ、以前のように膝に座らせる。む、少し重くなったな。 「……アイン様は意地悪です」 「知っている」 以前にもこんなやりとりをしたな。そう言えば。 「それで、何故俺が他の女と伴侶になるのをクライネが嫌がるのだ?」 「……クライネにとって、アイン様は特別で…たった一人の主です……。…ですから、アイン様の特別が増えるのが、クライネは…あまり、嬉しくありません……」 不貞腐れながらも、俺の腕から逃げることを諦めたのかクライネがそう告げる。こうやって拗ねているとまだまだ年頃の少女に見える。 「なるほどな…そういう事か」 嫉妬、だろうか。いや、そんな良いものじゃないな。彼女はまだ、主人である俺に抱く感情を整理できていないだろう。それを嫉妬と割り切るのは、傲慢だ。 「大丈夫さ。少なくとも、もう暫くは独り身を謳歌する予定だ」 クライネの銀髪を撫でながらそう諭すと、尖っていた口が僅かにほころんだ。 「しかし困った。折角の菓子が残ってしまったな」 テラスの机には、手を付けられることなく残された焼き菓子が。スコーンだ、態々作らせたのに、クロワ嬢を帰してしまったからな……。 「…セバスはいないな。ほら、クライネ。話を聞いてくれた褒美だ」 柑橘のジャムを塗り、クライネの口元へ運ぶ。セバスがいないとわかった今、抵抗しなくなってきた。 「んむ……とても、美味しいです…!」 瞳を輝かせるクライネ。丸い頬を膨らませる姿は、まだ幼さが残る。 セバスは呆れるだろうが、この顔を間近で見れるのだから小言も甘んじて受け入れてやろう。 膝の上から落ちないように支える腕には、以前より重量を感じる。給仕服の生地が心なしか余裕がなくなってきたな。 確かに、セバスの言う通りクライネが太っているのは実感できる。だがまあ、俺が気にする事態では無い。 二つ目のスコーンを口に運んでやる。これくらい気心が知れていれば、俺とて婚姻する決心もつくというのだが。 「やはりいっそ、お前を嫁にするか……」 「ア、アイン様っ…!」 今まで聞いた中でもっとも大きなクライネの声に、俺は思わず笑い出した。 心が少しだけ軽くなった気がした。


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