迷惑をかけず死ぬことと迷惑をかけずに生きることへのハードルの高さ
Added 2022-04-14 16:30:31 +0000 UTC先日、スイスでの安楽死についての記事を書いたけど、誰にも迷惑をかけず自死するということが本当に難しすぎる。
人身事故で電車が遅れて一度は思ったことがあると思う。
「他人に迷惑をかけるな」と。
だけど自死について考えを巡らせると、どんな方法をとっても誰かに迷惑がかかることがわかる。
まずどんな方法でも死体の発見者や目撃者にはトラウマになるかもしれないし、死体の処理だって必ずある。
死んだ場所は自分が買った一軒家や山などでもない限り所有者がいて、価値が下がったり後処理や対応の手間をかける。
飛び降りや硫化水素は運が悪ければ他人を巻き添えにするかもしれないし、どんな方法でも失敗して身体不自由となれば他人の手を煩わせながら生きるしかなくなる。
たぶんであるけれど自死した人はほぼ他人に迷惑をかけたくなくて死んだか、他人の迷惑まで思いを巡らせることができなくなるまで追い詰められたか、もしくは何らかの要因で錯乱したかのどれかであると思う。
(もちろん例外はあると思う)
安楽死さえあれば、その人は他人に迷惑をかけずに死ななくてよかったはずなのに。
日本は残念ながら安楽死の議論がまったく進んでいないらしい。
尊厳死ですら積極的なものは認められていないっぽい。
延命治療をせず死を早めるという〝消極的尊厳死〟だけがかろうじて認められているようだ。
自分は誰にもできるだけ迷惑をかけたくないからスイスで安楽死したいと強く望むけど、それにしてもハードルが高すぎると思う。
生きられないと思っている人が200万弱を貯金し、死ぬために診断書を書いて貰い、海外へ飛行機で渡り、死にたい意志がありますと英語で意思表示しなければならないなんて、ほとんど不可能に近いんじゃないだろうか。
何かの記事にも書いてあったけど、日本に安楽死制度があったなら安楽死を望む人でももう少しは生きられる。
なぜかというと体が動かなくなってからでは海外に渡れなくなるから、まだ動けて生きられるうちに死ななければならない。
日本は「誰かに迷惑をかけてはいけない」という思想が根強く、その気持ちに引っ張られ「迷惑をかけないよう死ななければならない」と思ってしまうため安楽死に消極的なんだ的な話もどこかで見た。
だけど仮に自分が本当に働ける目処が何年も立たなかったり体が動かなくなったりして、それに巻き込まれる周りの人間が「迷惑だ」と思わないか?と言われるとそうではないと思う。
人身事故で電車が遅延して迷惑だ
死ぬなら迷惑をかけないで死んで欲しい
そんな類の思いを他人に抱かせてしまうのは自分はどうしても嫌だ。
「迷惑にならない」なんて綺麗事でしかないし「迷惑をかけてでも生きろ」は残酷すぎると思う。
本当にひたすら誰かの迷惑になりたくない。
これが尊重すべき個人の尊厳でないなら、なんなら認めてくれるというんだろう。
だからどうしてもスイスに行かなければいけないんだけど、本当にハードルが高すぎる。
日本に安楽死があればこんなに悩まなくていいのにとは思う。
それに本音を言うと本当は慣れ親しんだ日本で死にたい。
でも実際に日本で安楽死が認められるのはまだまだ先になると思う。
というかその日が来るのかどうか……。
だけどやっぱり最後に発する言葉は英語でなく日本語でありたいなと思う。
無理だとは思うけど叶うなら自分がスイスに渡る前に日本での安楽死が認められますように。
Comments
「もとさんに迷惑をかけられたくない」と思う人は自然ともとさんから離れていくと思います。逆に「何かしらもとさんの助けになりたい」と思う人は迷惑だと思わないので近づいてくると思います。 他の人に迷惑がかかるかどうかを考えずに、もとさんがどうしたいかをそのまま書き綴っていただければ、応えられる人が反応すると思います。 もとさんが「迷惑をかけずに生きる」ほうをお考えでしたら、「何かしら手助けができたら」と考えております。
effective
2022-04-15 07:14:55 +0000 UTCああああ、本当につらいですね。先生、がんばってください。绝望しないでください。私は毎回あなたの记录を见て、もっと顽张ってほしいです。向こう岸にいる私はあなたのために助けることができません。しかし、私も先生が强く生きていくことを望んでいます。がんばってください。そして、あなたのために祈っている人もいます。
十画
2022-04-14 17:07:49 +0000 UTC