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蒼い魔女と金の獣……1

「う……」 こんな事は今までなかった。寂れた船着き場。都市開発で放置されたコンテナの中、つい二週間前ほどは彼女の寝床だった。 旧市街の中でも特に、治安が悪くそれ故に餌に困らない場所だ。居心地が悪くとも住みかに丁度良かった。潮の匂いに混ざり、血と内臓の臭いが薫る。  彼女は生粋の捕食者である。ときには生きたまま丸呑みにし、腹に収めてしまう事もある。この辺りをふらつく奴らは余り美味くはない。薬で脳が腐ったり、ガリガリで食い応えがない。それでも食えないよりマシだし、内臓は寒い日に暖を取るには最適だった。 腹に穴を開けて臓腑を引きずり出して、しばらくは暖く冷えたら食えば良い。時折街に繰り出しては、美味そうな肉は探し、たらふく食べてここに戻ってくる。そんな獣のような暮らし。ごみ溜めのような場所で目を覚ました彼女。記憶も無く、あるのは荒んだ心だけ。それ故平穏とはほど遠いそんな生活しか知らない。 雨が降っている。 「う……ぇ」 数時間前に食事を終えた彼女は膨れた腹を抱えて住みかに戻った。長らく離れていたからか、腐臭がする。嗅ぎ慣れた臭いの筈なのに彼女はえづく。正確にはこの嘔吐感は臭いのせいではない。膨らんだ腹が異音をたてた。 「うげぇ……おえええぅ!」 彼女はとうとう堪えきれずに、嘔吐した。意図しない嘔吐に肋骨を砕きながら、巨大な肉塊を口から吐き出す。蛇が丸呑みした獲物を吐き出すかのような異常な光景だ。 「おぶ……えゔゔゔゔ…… げぽっ!」 もったいない。そんな事を思う間もなく抑えきれない嘔吐感に身を任せた。吐き出したのは数時間前に丸呑みしたとある一家。3人家族で空腹もあり、特に余韻もなく捕食した。娘だけは助けてと叫ぶのが酷く耳障りなのを覚えている。 「うぶ……」  最初に吐き出したのは母親。人型を保っているが、表面溶けた皮膚と黄色くふやけた脂肪混じりあっていた。  顔は眼球が溶け落ち、開けた双眸からは、消化液の混ざった視神経と脳の一部が流失する。性別すら最早分からないが、数時間前には家族のシチューを煮込んでいた。コーンがたっぷり入って美味だったが、それも一緒に吐き出した。 「えほ……ごぽ……」 次に吐き出された肉塊は、父親と娘が混じりあっていたモノだ。あまり時間差なく捕食したからだろう。てらりと粘液で光るピンクのズタ袋に、どろりとした中身を詰めたようだ。笑顔で父親に抱かれていた娘は最もはや原型もない。3人家族を血肉のヘドロにした少女は顔を青くしたままだ。吐いても気分が悪い。 「……」 少女はもったいない。そう思った。かわいそうなどは微塵も思えなかった。それが酷く歪に思えた。 「獣みたいにしか。私はきっと生きれないのに。どうして。私は獣じゃないの?」   絵本に綴られた一節を呟いた。喰った子供の持っていた絵本だ。それには金色のライオンが、ヒトの心を持ち苦悩するといったモノだ。 (おんなじだ。身も心もバケモノなら良かったのに)  そうすればこんな思いはしなかったろう。ただ無心に肉を喰らっていれば良いのだから。僅かな憐憫に、微かな罪悪感に苛まれずに済むのに。 雨がまだ降っている。酷く気分が悪い。擦りむいた傷が治らない。肉が食べたい。 「貴女は確かに、肉体的に不死身かもしれないわ。けれど風邪で代謝が落ちてる。再生力も。せめて雨が止むまでここに居なさい」 うるさい。私は獣なんだ。 「少しくらい安息を求めてもいいのよ。貴女は人間なんだから」  違う。化け物なんだ。これくらいへっちゃらなんだ。  「……!」  複数の気配と匂いを察知して、機敏に立ち上がる。コンテナの外に出ると自身の迂闊さに気づく。 「囲まれてる……」  雨で匂いを上手く感知出来なかった。接近されるまで気づかないなど、普段なら有り得ない。それほどまでに消耗している事を自覚する。この雨の中でも分かるほどの人数。武装しているのは明白だ。そして敵意を持っている事も。だがそれ以上に問題なのは、その数である。軽く数えても20人は居る。 「一週間も何処に雲隠れしていた?我らが影すら掴めないとは」 それは奇妙な集団だった。黒子のような衣装に身を包む男達。それを率いるのは奇怪な面を被るセーラー服を着た少女。背丈はさほど高くないが、放つ威圧感は並ではない。何より少女の腰には刀が携えられている。 「知らんよ。我らただの害獣狩りだ。罪もない人を容赦なく喰らう貴様らが許せんだけだ。その肉塊も、善良な一般人だった」 「五月蝿いな。食べなきゃ生きられないんだこっちは。死ねっていう訳?飢えて死ねというの」 「そうだ。理解してるじゃないか。死ね。化け物。貴様ら化け物の居場所など無い」 少女は瞑目して心底うんざりした調子で呟いた。 「肉が喋んないでよ。心底うざい。耳障りなんだよ」 「野蛮な化け物らしい言葉だ」 「そうだよ、私は化け物だ。それでいい。それがいい」 「やれ」 お面の女子高生が刀を振り下ろし黒子達に命令する。無感情に均一された、マネキンのような動きで少女に迫る。 「相変わらず気味が悪い……」 少女は肉薄して来た黒子の頭を蹴りあげる。顎を粉砕し、首が引きちぎれて宙を舞った。噴水のように血が吹き出し、主を失った胴体が倒れる。華奢な足から繰り出されたとは思えない威力で、吹き飛ばされた頭も遅れて地面に落ちる。凄惨な光景に、しかし黒子達は怯まない。 恐怖そのものがないかのように。 「ふっ!」 踏み込んで放った拳が、黒子の腹に穴を空け、臓腑を撒き散らした。 「うざいっ!」 背後に迫っていた黒子に裏拳をぶつける。顔面が粉砕し、眼球が押し出される。その威力に黒子に首がねじ切れて飛んでいく。  抑え込もうと伸ばされた手を、 「はぐ!」 大口を開けて咥えると咬み千切る。勢いに引っ張られた黒子の頭に頭突きを繰り出すと、ひしゃげる音と共に頭が弾け飛んだ。 「マズイんだよ!」  近くに寄ってきた、黒子の顔面に咀嚼した腕を噴き出す。猛烈な勢いで吐き出された骨片が散弾のように黒子の顔面をぐちゃぐちゃにした。 「!」 コンテナの上から黒子が飛び掛かる。軽く体を捻りかわして、地面に叩きつける。びくびくと跳ねる黒子の頭を踏み潰すと、西瓜のように弾けた。 「わ!?」 コンテナの影に潜んでいた黒子が、少女を羽交い締めにする。その間に刃物を持った黒子が少女に迫る。 「触るな!ヘンタイ!」 軽く蹴りを当て、背後の膝を粉砕する。姿勢が崩れた黒子の頭を掴み投げ飛ばす。質量70キロ程の投てき物が、迫っていた黒子達を吹き飛ばした。純粋な膂力だけで、黒子達を粉砕していく。 「はぁ……はぁ……ふふふ」 僅か数分の間に死体の山が築かれた。臓物と血の塊となった黒子達の中心に立つ少女は笑っていた。返り血を浴びて、頬を紅潮させ、瞳孔が開いた眼で嗤っていた。 「……?」 ふと気づく、先程までコンテナの上に居たお面の女子高生が居ない。不利と分かって逃げたのか?そう思った直後、 「え?……ひゅ……ぶ……」 口から血が溢れ、奇妙な音が喉から出た。肺を貫かれたのだと気付く。彼女は山となった死体に、黒子の姿で紛れて隙を伺っていたのだ。 「ぐ……くぷ……」  肺に穴が空き上手く、呼吸が出来ない。少女は必死に、呼吸をしようとするが、ヒュー、ヒューと、空気が漏れる音しか出ない。少女は、自らの胸を貫いたモノを見た。口から血と泡を吹きながら、慌てて振り替える。その瞬間に再び刀が、鈍い銀の軌跡を描く。 「!?」 腕の筋と、足の健を的確に切り裂かれ少女は倒れた。腹部の再生は始まるが、いつもと比べて遅い。 「凄まじい再生力だな。おぞましい」 銀髪の女子高生は、美しい顔を憎悪と嫌悪に歪めながら見下ろす。のたうつ少女の顔に、刀の柄を振り下ろす。肉が潰れるような音が響く。 「私の両親は、化け物に食い殺された。目の前で」 振り下ろす。 「私だけは救われた。神が私を救ったのだ」 振り下ろす。 「私は救われた。その神は私に告げたよ。お前もそうだと」 振り下ろす。振り下ろす。 「啓示だ。そう神からの啓示。いつしか私も化け物と同じになっていた。しかし私は違う」  振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。 「確かに罪なき者を食らったことはある。しかしそれは正義を行使する為の必要な犠牲だ」 振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす 「そう、正義だ。人の怪物を喰らい糧とする、そうして新たな力を手に入れ!そして!新たな化け物を喰らう!」 振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす。 「彼ら黒子も、私の教えに賛同する者達だ。痛みも感じない、信徒の鏡!」 「そう!正義なのだ!その為の尊き犠牲!神の為!私の正義の為!正義を行使!正義正義正義正義正義その為の犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲犠牲!!!」 振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす振り下ろす。 「おっとつい。熱くなってしまった」 少女はびくびくと痙攣していだが、ついに動かなくなる。 「再生もしていない?死んだか、まぁいい……」 血にまみれ、脂に汚れた金色の髪を撫でる。汚れては居るが、金糸のように滑らかで、指に絡めると心地が良い。実に美味そうであった。 「ふふ。この瞬間の為に私は生きているのだろう」 燃えるような狂気に満ちた、瞳を細めて涎を垂らす。唾液に濡れた唇を舌を這わせて拭う。 「いただきます」 整った顔立ちを歪めて、銀髪の女は大きく口を開いた。「あむ、はぐ」 顎が外れるほどの大口を開けて、少女の頭にかぶりつく。頭をすっぽり覆うほど広がった口は、少女の体を少しずつ呑み込んでいく。 ずちゅ……ぐちゅ……ごきゅん…… 波の音に紛れて湿った音が、港に空しく響く。 少女の頭が食道に収まり、喉が歪に膨らむ。 「ごきゅ……ごくん……」   食道の肉はゴムのように伸縮を繰り返し、獲物となった少女を、徐々に胃袋へと運ぶ。 「んぐ……んぐ」  少女の頭が噴門を潜り胃袋に到達すると、下半身が口に収まり始める。蛇同士の共食いを思わせる光景だ。やがて食事は収束に向かう。 「んくう……ごくん!」  爪先をじゅるりと舌を絡めて口内に収める。銀髪の女子高生の腹部がぼこんと膨らむ。 「ごっきゅ……ん……!!」 一際巨大な嚥下音が辺りに響き、足先も胃袋に降る。喉もとから胸に大きく膨らみを作り、やがては胃袋に収まる。 「私はヒトクイグイだ!ふふ……あははははは!」 刀に付着した血液を、じゅるりと舐める。彼女にとっては人喰いの怪物はすべて捕食対象だ。心境は境遇など知ったことではない。 今回も今まで食ってきた獲物とそう変わらなかった。 「ふふ、また豊満になったか?ふふふ。さて、後片付けをして帰るとしよう」 黒子達に死体の処理するよう命令する。腹部がうごめくのを感じ取り再びゲップをする。 「ふ、ふふ無駄な抵抗を、おい、なにしている?」 黒子達の様子がおかしい。困惑したようにざわついている。 「はやく死体をクーラーボックスに詰めろ、いつものこと……」  そこで気づく。むせ返るような血の臭いが消えていた。 「死体が消えた……?」 死体の山が丸ごと消えていた。血の一滴すらない。代わりに何か白い粉のようなモノが積もる。 「な、なんだ……これは、死体は何処に……?それになんだこの粉は……」 掬った感触と、嗅いだことのある匂い。主食の一つ、パンの原材料。 「小麦粉……なぜ?こんな物が?」 「Le sang de Dieu est du vin. La viande de Dieu est du blé. Je consacre. Du sang au vin. Viande en farine. Dédiez-moi qui est un Vierge du sanctuaire」 この汚れた港には、相応しくない鳥が歌うような声が響く。脳に浸透するような声に、黒子達は膝をつく。「ごきげんよう。ずいぶん楽しそうなパーティーね。私も御呼ばれしてもよろしくて?」 その少女はおおよそ、薄汚れた港には不釣り合いな格好をしていた。気品のある黒のドレスに灰地のコルセット。清流のような青い髪をたなびかせる。 その髪と同じ瞳には、シンプルなフレームの眼鏡が掛けられていた。 「なんだ?誰だお前?」 自身を含めて、黒子達もその少女の出現に気付けなかった。いつの間にそこに居たのだ。 (なんだ、なんなんだ……) 「私の名前?……すぐに分かるわ。さて。さっき食べた金髪の女の子を吐き出して貰えるかしら?」 眼鏡の中の瞳を細くして、銀髪の腹を見る。 「さっき食べた金髪の女の子……吐き出して頂戴」 「貴様、こいつの仲間か?なら」 「意見なんて聞いてないわ。早く吐き出して、土下座して命乞いをしない。そしたら、楽に殺してあげるわ」 冷徹に淡々と、それが当然とばかりに告げる。眼鏡が月明かりに照らされ妖しく光る。 「……」 肉壁が蠢き、肢体をゆっくり締め付ける痛みで金髪の少女は目を覚ます。顔は腫れて、深く斬り付けられた傷はようやく塞がる。しかし染み出してくる胃液が、皮膚を焼く。 「………」 ああ、一週間前もこんな感じになったなと少女は思う。 「……シャワー浴びたい……」 絡み付く胃液が気持ちわるい。思考があまり纏まらない。空腹と体調不良もあり、傷の治りが遅い。消化力の方が上回れば、溶かされて栄養となる。自身がそうしてきたみたいに。 「私が食べられる側なんて……」 一週間前と同じ言葉を呟く。けれど状況は前より悪い。 「……」 獣のように生きている。なら何れ狩られるのも運命かも知れない。 『ごめんなさい』 あの魔女はどうして、誰かに謝っていたのだろう。あんなになんでも出来るのに。 『さわらないで』  どうしてあんなに淋しそうなんだろう……。ふと、自分の両手を見つめる。手は血塗れている。 「…………」  いつか見た絵本の情景が浮かぶ。あれはどんな話だったっけ?確か王子さまが居て……ああそうだお姫様が居たんだ。それで最後はどうなったんだっけ?思い出せないや……。でもきっと幸せな終わり方じゃないんだろうな……。だって私みたいな化け物が居るんだから……。 「……」  私なんかを助けてくれる人は……居ないよね………… 「…………だれか助けてよ……」  誰に届くわけでもない声は、肉壁と蠕動音に掻き消された。  一週間前。ある路地裏にて 「やめろ!助けてく」  ゴクリッ。人食い魔女はなんの躊躇なく縮小化した人間を呑み込んだ。悲鳴と共に嚥下音が鳴り響き、やがて消える。その一連の動作は手慣れていて、どこか美しさを感じさせるものであった。灰地のコルセットに包まれた腹を撫でる。 「けふ……まぁ悪くはなかったわね。それにしても」  最近、自身が関わっていない行方不明事件が増えている。最初はただの偶然だと思っていたが、こうも続くと何かしらの原因があると考えるべきだ。黒子の集団を見たなんて話も聞く。 「捕食者は私一人で充分よね」  腹を撫でながら呟く。胃袋内での抵抗を楽しみながら、帰路に着こうとする。 「さて、ランチも済んだし帰ろうかしら」 「ねぇねぇ」  ゾクリと魔女の背中に冷たいモノが走る。この場所、この空間で誰かに話しかけられるなんてあり得ない筈だった。 「こんなトコでなにしてるの?」  そう話しかけてきたのは帽子を被ったセーラー服の少女。白い帽子からは爛々と光る金髪、くりっとした美しい碧眼、時折除く悪戯っ子のような八重歯、いずれもまるで人形のように可愛らしく整っていた。体型はすこしぽっちゃりしているが、決して太っている訳ではない。 (コイツ……いつの間に?)  食後で油断していたとはいえ、ここまで接近を許すとは失態である。 (私としたことが人避けの結界を張り損ねたとでもいうの……?) 「もう、無視しないでよ?」  少女の手が魔女の肩に触れる。触られたのは何年ぶりだろうか。魔女ら見知らぬ人間に触れられることを何より嫌った。 「さわらないで!!」  電流に触れたかのように、肩に触れた手を払い除ける。少女は驚いた様子で一歩下がる。魔女の脳裏に焼き付くあるトラウマが想起され、彼女は嘔吐した。 「あ、ぐ……ぉええええ!」  びちゃびちゃと吐瀉物がアスファルトを汚す。その様子を見て、少女は不思議そうに首を傾げる。 (なんだコイツ……汚っ……ま、いっか。さっさと喰って……ん?)  吐瀉物に何か奇妙なモノが混ざっているのが見えた。それは、小さな頭蓋骨と、溶けかけた肉塊。ある意味見覚えのあるそれ。 「げほっ……見たわね?」  睨みつけられた少女に、本能的な悪寒が走る。慌てて飛び退くが少し遅かった。 「な、なにこれ!?」  身体が光に包まれると、彼女の姿に変化が起こる。 「か、身体小さくっ……うわ!?」  5cmほどに小さくされ、セーラー服の襟首を摘み上げられる。 「どこの誰か知らないけど、見られたからには……」  先程の吐瀉物の臭いの残る口内が、少女の目の前に広がる。 「そんな……私が食べられる側なんて……!」  少女の言葉を掻き消すように、魔女は容姿なく口を閉じた。そして、味わうこともなく嚥下した。 「くそっ!マジで呑まれた……ここは食道?」  自身を呑み込んだ女の鼓動を聞きながら、狭い肉壁を降りていく。やがて、噴門を抜けて、 「ウワッ!?」  一瞬の浮遊感後、溜まっていた胃酸溜まりに落ちる。 「うげ〜〜」  先程の嘔吐で体積はかなり減り、溺れずに済んだのは不幸中の幸いと言えるだろうか。 「くさ……さっきのゲロの臭い……ここは胃袋か……」  ぐぎゅるるる……ぐううう……  ヒダヒダに包まれた胃壁に、溜まった胃酸。ピリピリと皮膚が痛みだす。 「どうやって出よう?……ああなるのはごめんだし」  吐き出されずに残った頭蓋骨を見ながら溜息を吐く。 「とりあえず殴るか」  考えるのが苦手な少女の解決方法は、極めてシンプルなモノだった。 「ふふっせいぜい抵抗して私を愉しませて……ヴブッ!?」  先程の痴態を誤魔化すように、余裕綽々で腹を撫でていた魔女に更に衝撃が走る。腹部に凄まじい痛みが走る。ハンマーで腹を殴られたような鈍痛だ。 「ちょ……待ちなっ!?」 「もう一発!」 「うぐっ……」  先程、嘔吐して弱った胃袋に更に衝撃を受け、鈍痛に悶え苦しむ魔女。 (うぷ……お、落ちついて考えるのよ。まずいわ……さっきの言動とこの力……そして)  魔女は再び、魔力を張り巡らせる。路地の入り口には確かに結界が張られていた。 (張り損ねたんじゃあない。機能しなかった……私がお腹の中に招き入れたコイツは……“コレ”は間違えなく人間ではない)  推測でしかないが、間違いない。“コレ”が何であるかは、今は考えない。それより解決すべきことがある。 (私がかけた縮小魔術はあくまで、“人間”用のモノということは……) 「ん?な、なに!?今度は身体が大きく!?わわわっ!」  胃袋の中で少女の身体が大きくなり、胃壁に締め付けられる。 「くっ!や、やっぱり……」  魔女の腹が妊婦のように膨らみ始める。急速に増してきた質量がギチギチと腹部を圧迫し始めた。 (今の大きさで暴れられたら不味いわ!破裂しちゃう……かと言ってもう吐き出せる大きさでは……)  そうこうしてる間にも、魔女の腹部はどんどん膨らんでいく。コルセットがはち切れんばかりに膨らんだ時、 「転移っ魔術ッ!」  腹に手を当て、目標の位置を変更する魔術を使用する。青い蝶が腹部に大量に発生し、外に出てくる。やがて蝶が集まり、少女の姿が形成された。 「はぁはぁ……」  呼吸すら圧迫されていた魔女は、荒く息を吐き呼吸を整える。解放された少女は素早く立ち上がり、 「あっ!お前!よくも私を食ってくれたな!」  金色の髪を逆立て、犬歯を剥き出しにする少女。 「今度は私が食ってやる……」 「ま、待ちなさいっ!」 「命乞いなら聞かないよ!」 「そうじゃないわ、協力……しましょう」 「……協力?」 「あなたもふつうの人間じゃあないんでしょう?“食事”には色々と困っているんじゃないかしら?」 「……それで?」 「……ふぅ、知っての通り……私には魔術が……あなたには無い力がある。パートナーになれば出来ることの幅も広がる筈よ」 「………」  少女が顎に手をあてて考え込む。今では確かに休む暇すらない。奇妙な集団に襲撃されたこともあった。狩りに利用出来るなら、確かに魔女でも使うべきだろう。 (魔女か……確かに色々便利そう。それにもし怪しい動きをしたら、食べちゃえばいいし) 「いいよ。協力しても。よろしくね。名前も知らない魔女さん」  少女が手を差し出すと、魔女は驚いたように目を丸くする。そして、恐る恐るといった具合で手を伸ばす。 「なに?取って喰いはしないよ。少なくとも今は」 「いえ、その……誰かと手をつなぐなんて久しぶりだし」 「ふーん。変なヤツだねアンタ」  少女は近づくと、躊躇する魔女の手を繋ぐ。 「あ……」  自分より少し小さい手の感触。久しぶりに温度が伝わってくる。 「なに笑ってんの。気持ち悪い」 「いえ……なんでもないわ。私はサディ。あなたは?」 「別にないけど。今まで一人だったし。つーか。いつまで握ってんの?キモいんだけど」 「わ、悪かったわね。とりあえず家に来なさい。名無しじゃやりにくいし、じっくり考えましょう」 「要らないし。てかアンタの胃液でベトベトなんだけど」 「……お風呂貸すわ」 「あっ。私の帽子、アンタのお腹に入ったまんまなんだけど」 「……後で出すわよ」 「お尻から?」 「違うわよ!」  それから二人は協力関係を結び、共に行動することになる。奇妙な関係はここから始まった。  続く。


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