①の続きではなく別作家様の作品になります。
SKIMAの募集にて執筆いただいた小説。
※キャラの容姿など一部以外は、世界観や設定など自由。
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「刈間さーん。刈間シズクさーん。宅配便でーす」
とある都市の一角に静かにたたずむ小さな一軒家。その玄関の前に一人の男性が立っていた。男性はなにやら大きな段ボールを横に置き、玄関脇にあるインターフォンを数回押しながら、中にいるはずの住人に対して声を掛けてきた。短いセリフではあったが、そのセリフを聞けば、この男性がどこかしらの宅配業者であり、そして、脇に置かれている大きな段ボールを、この一軒家の住人に届けに来た、ということは自明の理であった。インターフォンを数回鳴らしても反応がない。今は不在なのだろうかと思い、男性が不在処理をしようとした、その時だった。
「はい、どちらさまですか? ……って、宅配便って言っていましたっけ?」
玄関が静かに開かれ、そこから一人の男の子が姿を現した。その男の子はややボサっとした短い栗色の髪の毛を持ち、頭の先端からなにやら小さく髪の毛が飛び出しているのが見える。上半身はありふれたシャツにジャージを羽織り、下半身は黒の長ズボンという、比較的ありふれた容姿をしていた。身長はさほど高くない容姿で、その差は宅配業者の男性と比べるまでもないほどに明らかだった。男の子はなんとなく気怠そうな声で、玄関前にいる宅配業者の男性に返事をした。
「刈間シズクさん、ですね? お届け物がありますので、こちらにサインをいただけますか?」
「はっ? オレにお届け物? その大きな段ボール、ですか……?」
宅配業者の男性は、玄関から現れたその男の子に用件を告げながら、手にしている端末を差し出し、受け取り署名を促した。どうやら、この男の子、その『刈間シズク』という名前の男の子であるらしい。シズクは男性のすぐ脇に置かれている大きな段ボールを一目見て、一体何事かと首を傾げた。自分のようなどこの馬の骨とも分からない男子に、一体誰が、どんなものを届けてきたというのだろうか。しかし、男性が差し出した端末に表示されている、受け取り署名の欄に記載された発送者名を見た時、彼はさらに首を傾げることになった。
「……な、なんだよ……? こ、これ、父さんから、なのか……?」
それは紛れもない、シズクの父親の名前だった。彼は、何故自分の父親が、急にお届け物を送ってきたのか、その理由が今一つ判然としなかった。とはいえ、無闇に受け取り拒否をしてしまうというのも、なんとなく父親に対して忍びない思いもよぎる。彼はひとまず荷物を受け取ることにし、その受け取り署名欄に自分の名前を書き込んだ。男性がその署名を確認すると、彼が手にしている端末にその情報を送信した。彼が自分の端末に受け取り情報が表示されていることを男性に示し、それをもって受け取り手続きは完了した。
「ありがとうございます。またよろしくお願いしまーす」
男性は元気よくお辞儀をしながら、玄関前から走り去っていった。次の宅配先に行かなければならないのだろう、その動きは実に俊敏で、この宅配の仕事に慣れている風を窺わせるものがあった。男性を見送った後、シズクは玄関脇に置かれている大きな段ボールを家の中に運び込もうとした。これだけ大きな段ボールに入れているとなると、中身もそれなりに大きく、必然的に重量も相当なものになるだろう、ということはある程度予想していた。しかし、実際に両手でそれを持ち上げようとした時、その予想は別の方向でハズレだったことに気が付いた。
「な、なんだ、これ……? 結構重たいな……」
シズクはその段ボールが、想定していた以上に重たいことに一瞬驚きを隠せなかった。これほどの重たい物となると、おのずと中身は限定されてくる。彼が知る限り、自分のような男の子が簡単に持ち上げることができないものといえば、それなりに重量のあるフィットネス器具や、小型バイクなどの動力機関、というものになるだろう。しかし、彼は自分の父親の性格から考えて、そうしたものをなんの予告も理由もなしに、いきなり息子に送り付けてくるとは思えなかった。
「とりあえず、この台車を使うか。それを使わないと、このまま運んだら腰がやられそうだな」
シズクは自分の力だけでこの大きな段ボールを運ぶのは無理だと判断し、玄関の反対側の脇に置かれていた電動式の台車を用意した。この台車は、目的となる荷物を前に置くだけで、内蔵されたコンピューターチップがその荷物を認識し、自動的に所定の場所まで運んでくれるという優れものである。軽い荷物であれば彼が自分で運んでも問題はなかったが、今回のような重量物を安全に運ぶためには、こうした文明の利器に頼るのが最も確実な方法だった。
彼が台車を大きな段ボールの前に置くと、台車は自動的に作動し、左右から伸びてきた一対のアームでその段ボールを持ち上げた。そして、余計な衝撃を与えないよう、静かに台車の上に乗せると、小さなモーター音を鳴り響かせながら家の中にそれを運び入れていった。荷物を置く場所は彼があらかじめこの台車のコンピューターチップに入力してあるため、あとはその場所まで運んでくれるのを見守るだけだった。程なくして、台車が家の物置部屋に入ると、再度一対のアームを伸ばし、その段ボールを床の上に降ろした。そして、アームをしまい込むと、これまた自動的に玄関の脇の前まで戻っていった。
「これでよし、と。さて、問題はこの荷物の中身、なんだよな……」
シズクはその大きな段ボールの前に座りながら、腕を組んで考え込む仕草を見せていた。彼が持っている端末に表示されている荷物の受け取り情報。そこの発送者名には『刈間サイゾウ』と記載されていた。『サイゾウ』という、いかにも古風な、それこそ忍者一族の頭領を彷彿とさせるような名前を持つ、シズクの父親。その父親は、かつてとある民間企業で、「アンドロイド」と呼ばれている人型ロボットを研究開発する業務に従事していた。
大昔の、いかにも機械然としたロボットとは全く異なる、次世代のロボット開発。人間と同レベルの運動性や知性、および高度な感情表現を備えたロボットは、旧文明の人類にとっては空想のテクノロジー、いわゆるトンデモ科学に分類されるべきものだった。しかし、人類の探究心はどれほどに時代が進もうとも、いかに文明が進歩を遂げようとも、常に新しいものを求め続けるのが人類の種としての本分である限り潰えることはなかった、それこそが、人類が人類たる所以であることを示そうとするかのように。
彼の父親も、そうした溢れんばかりの探求心を持つ側の人間だった。彼の父親は結婚する以前からその民間企業で働き、来る日も来る日もアンドロイドの研究開発に明け暮れていた。同じ企業で経理を担当していた女性社員と良い関係になり、そのまま婚姻関係を成立させたものの、父親はその後に研究者としての日々に没頭していた。毎日毎日、昼夜兼行でアンドロイドの実験と試作を繰り返し、失敗に終わってもデータを収集し、新たな課題に挑んでいく。そんな夫を影に日向に支え続け、絵に描いたような良妻賢母ぶりを披露する妻の女性社員。二人の姿は、まさしくあくなき探求心を宿す少年少女そのものだった。
「そういえば、父さん、今頃どこでなにをしているんだろう……? 政府の研究機関に引き抜かれてから、あんなことがあった後は、連絡なんて一つもしてくれなかったのに。どうして、今になって、急に……」
そんな夫婦生活に、一つの大きな転機が訪れた。きっかけは、妻の妊娠が発覚したこと、そして夫が政府の研究機関からヘッドハンティングを受けたことだった。その研究機関は、民間企業のアンドロイド開発に際して様々な情報提供などの支援を行うために設立された機関であるが、その研究機関が、夫を研究主任として破格の待遇をもって迎え入れることを打診してきたのである。小規模な民間企業で働き続けるよりも、政府の研究機関の主任として働く方が、今後の生活を考えた上でも大いに有利になる。
すでに出産休暇に入っていた妻も、夫に出世のチャンスが訪れたことを喜んでいた。新しく授かる命と共に、これほど嬉しい時間は今までなかったと思えるほどに。夫はその打診を承諾し、すぐさまその研究機関で働くことになった。本来の役目は、民間企業のアンドロイド開発をサポートすることであるが、やはり自身でも独自に研究開発を行っていたのだろう。しかし、その設備は先の民間企業などとは雲泥の差といえるほどの巨大な規模を誇り、さらに最新鋭の研究機器を取り揃えた、まさに抜群の環境であった。
「なぁ、母さん。母さんは、父さんのこと、本当に好きだったのか……? 本当に好きで、一緒になったのか……?」
やがて、妻が無事に出産を果たし、彼ら夫婦に新たな命が授けられることになった。その男の赤ちゃんには『シズク』と命名された。漢字で書くと『雫』。ほんの少し、わずかな量、そしてゼロ、という意味合いを持つその漢字に、夫婦は無限の可能性を託していた。小さいものしか持っていないからこそ、あらゆるものを吸収し、どこまでも大きく、そしていかなる姿にも変貌を遂げることができる。我が子の将来がどのようなものになるか、それは誰にも予測できるものではない。だからこそ、我が子には自分が思う通りの人生を歩んでいったほしい。そんな願いを『雫』という漢字に込めていた。
しかし、そんな夫婦の幸せな生活は、ある日突然終わりを迎えることになった。シズクが三歳の誕生日を迎えた時、母親が原因不明の病気に冒された。この時代の高度に発達した医療技術をもってしても、治療法はおろか、原因さえ特定することができない、難病中の難病。その発症率は実に一億人に一人とも言われている、極めて希少な症例しかない。それ故に、治療法などの研究も思うように進まず、母親の身体はあっという間に病魔に侵食されていった。
「あの病気さえなかったら、オレたち、今頃ちゃんとした家族になっていたかも知れないんだよな……。父さんがああなってしまったのも、誰の責任ってわけじゃないし……」
日に日に衰えていく妻の身体を見ながら、夫はなんとか妻を助けてほしいと、何度も病院に訴えた。しかし、これほどの希少な難病を助ける方法はないと、病院は首を横に振ることしかできなかった。そして、なにも手を打つことができないまま、妻は夫と、息子のシズクに見送られ、天国へと旅立っていった。シズクももちろん悲しかった。母親との大切な時間を、あのような病気に奪われてしまったという事実。しかし、彼以上に悲壮に暮れていたのは、夫であり彼の父親でもあるサイゾウ自身だった。
その日以来、サイゾウはすっかり人が変わってしまった。以前はたとえどれほどに仕事が忙しかったとしても、愛する妻と息子の顔を見るために毎日帰宅してくれていた。研究機関の仕事が過酷なものであるということは、シズクも父親の様子を見ておぼろげながら理解していた。それでも、疲れた素振りを一切見せることなく家族サービスをしてくれる父親のことを、彼は密かに尊敬していた。しかし、あの日を境に、サイゾウは一切家に帰ってこなくなってしまった。
「まぁ、父さんの気持ちも分かるよ。オレだって、大好きな彼女をあんな風に失ったら、多分父さんと同じことになっていたって思うし……」
政府の研究機関からは、父親はきちんと仕事をしており、成果も十分に挙げている、と定期的に連絡は入っていた。毎月の収入が途絶えたことがないことも、それを確かに証明していた。けれども、彼にとっては唯一の肉親となった父親の顔が見られない、ということに対する苦しみの方がよほど重大な問題だった。いくら生活に不自由することがないといっても、父親の顔を見ることができないというのは、子供にとって十分不自由な要素であった。それは、父親の現況を把握することができないということが、親子関係に悪い影響を与える可能性があるからに他ならなかった。
彼自身はしばらくの間、父親が手配してくれた養護施設で暮らしていた。だが、突然母親が急死したことに対する精神的ダメージは思いのほか大きく、彼もまた心が荒み始めていた。苛立つ心を抑えることができず、養護施設でたびたび問題行動を起こしてきた。そのうち、施設側からこれ以上は面倒を見続けることができないと言われ、結局彼は施設を追い出され、元の家に帰らされることになった。ただ、施設側も外で問題行動を起こされるわけにはいかないと思ったのだろう、彼に適した精神科医を紹介すると共に、彼に合った精神安定剤を処方してもらうように、その医師に働きかけていた。彼は今も、その精神科医の下で治療を受けながら、精神安定剤を処方してもらうことで、心の安定を保つことができている状態だった。
「おっと、過去の話を思い出している場合じゃなかった。この段ボールの中身を確認しないと。父さんがどんなものを送ってきたのか、それも気になるところだしな」
彼は、そこで思い出に浸る時間を打ち切った。過ぎてしまったことを今さら悔やんでもなにも変わらない。今自分がやるべきこと。それはこの段ボールの中身を確認し、それが今の自分にとって必要なものであるかを見極めることだ。これほどに重量感を伴うものであれば、中身が精神安定剤の類ではないことはもはや明確である。父親も自分の息子が精神科医で診療を受けていることは当然知っているであろうし、そこに余計なことをする理由など一つも存在しない。ただ、そうなると父親が一体なにを送ってきたのか、そしてそれを送ってきた目的とはなんなのか。そのところがどうしても気になる部分だった。
「えっと、ここからテープを剥がせばいいんだな……。よいしょ、っと……」
彼はおもむろに段ボールの蓋を閉じていたテープの端を持ち、そこから力を入れてテープを剥がしていった。テープが剥がれる時の鈍い紙の音が小さく物置部屋の中に反響していく。あの父親のことであるから、恐らくそのようなことはないだろうとはいえ、もし全く意味がないものを送り付けてきたら、その時は容赦なく文句を言ってやる。ただ、できれば父親に対してそのような態度を取りたくはない。複雑な思いを胸中によぎらせながら、彼はテープを全て剥がし、蓋を左右に開いてみた。しかし、そこに入っていたものを見た瞬間、彼は思わず目を丸くした。
「えっ……? な、なんだ、これ……?」
彼が見たもの。それは一人の人間だった。いや、それは人間と呼ぶにはあまりに「機械的な」外見を持っていた。髪の毛と思われる部位は人間のそれと全く異なった質感を持っており、どちらかといえば金属板を張り合わせて構成されたもののように見える。その頭からはとても人間が持っているものとしてはあり得ない、金属的な角のようなものが一対伸びているのも見える。両腕と両足のそれぞれの関節も、明らかに機械が動く時の可動部分が露出している。これらの外見的な事実を総合した時、彼が導き出した結論はただ一つだった。
「これって、もしかして、アンドロイド、なのか……? でも、本当にアンドロイドだとしたら、どうして、父さんがこれを、オレに……?」
これがアンドロイドである。その仮説は、父親が現在も従事しているであろう仕事内容から見ても一切矛盾を発生させないものだった。それを証明するかのように、左胸のあたりに『BB01』とロゴのようなものが書かれているのが確認できる。これが、このアンドロイドのコードネームなのだろうか。だが、仮にそうだったとして、そしてこれを送ってきたのが間違いなく父親だったとして、何故急にこのようなアンドロイドを息子である自分に送ってきたのだろうか。彼はその部分が一番心に引っかかっていた。
「見た感じ、故障しているってわけでもなさそうだしな……。まぁ、故障していたら、向こうでとっくに処分されているか。ということは、これはちゃんと動くアンドロイド……?」
まるで完成したばかりの、美しい外見を持つそのアンドロイド。それが、たとえ「機械的な」美しさだったとしても、あまりに人間に寄せたその容姿は、彼に一つの事実を抱かせることになった。アンドロイド開発は、すでにここまでのレベルまで進んでいた、ということ。今はまだ機械的な外見しか造ることができないが、そのうちさらに研究が進めば、人体を模した髪の毛や皮膚なども再現可能になるかも知れない。そうなれば、一見して本物の人間と見分けが付かない、文字通りのアンドロイドが完成することになる。ということは、このアンドロイドは、そのための試作品なのだろうか。
「でも、どうやって動かすんだ、これ……? どこかに、スイッチみたいなものはないのか……?」
とはいえ、これが本当に稼働可能なアンドロイドなのかどうかを確かめる方法を、彼は知らなかった。まだ稼働していない状態なのであれば、どこかに稼働スイッチに相当するものがなければおかしい。しかし、こうして見える範囲に限って言えば、そうしたスイッチと思われるものはどこにも見当たらない。では、これは別の方法で稼働させることができる、ということになるのだろうか。どうすればこのアンドロイドを動かすことができるのか、彼が探るようにそのアンドロイドの顔を覗き込んだ、その時だった。
「……んっ? なんだ、今の音は……?」
彼とアンドロイドの目が合った瞬間、今まで暗い様子を見せていたアンドロイドの目に、突如として光が宿っていくのが見て取れた。続けてアンドロイドの目が左右に動き出し、やがて目の前にいる彼の顔の前で再度静止した。ごくわずかではあるが、アンドロイドの内部からなにかが駆動している音が聞こえてくる。ということは、このアンドロイドが稼働を開始したのだろうか。しかし、なにもスイッチを押していないにも関わらず、勝手に稼働しようとしているのはどういうことなのか。
「対象者、認識完了。システムのイニシャライズを開始します」
そんな彼の疑問にさらなる追い打ちをかけるように、アンドロイドの口が動き、そこから声のようなものが発せられた。それは、誰がどのように聴いても抑揚のない、大昔の機械音声を再現したものとしか思えないものだった。ただ、その機械音声が、今彼の目の前にいるのが人間ではなくアンドロイドというロボットであるということを、改めて浮き彫りにする形となっていた。そのアンドロイドの両目が、今度は様々な色に変化しながら点滅を開始した。
「う、ウワァッ! こ、コイツ、どうなっているんだ……? な、なにが、起こっているんだ……?」
アンドロイドの両目が何度も変色しながら点滅を繰り返しているのを目撃した彼は、思わずそのアンドロイドから飛び退くように離れていった。それは、その現象に対する驚きというより、未知の対象物への不可解な恐怖の反映、と言った方がより正解に近い印象だった。対象者とは、一体誰のことを言っているのだろうか。この状況から考えて、シズクであるとしか思えないが、それはどのような意味での対象者なのだろうか。訳が分からないまま、このアンドロイドを放置するわけにもいかず、仕方なくそのまま様子を見つめるシズク。やがて、両目の点滅が収まると、そのアンドロイドは段ボールの中から上半身だけを起こし、首を左右に振る仕草を見せ始めた。
「……おはようございます、シズク様。あなたが、ボクのマスターになるお方でございますね」
そして、うろたえているシズクに視線を向けたアンドロイドは、そこで首を振る動作を止めた。そして、彼に向かって挨拶の言葉を向けていった。その口調は、最初に放たれた機械的な音声とは全く異質な、人間的な質感を明確に伴った声だった。彼は、そのアンドロイドが人間的な話し方ができる、ということにも驚いたが、それ以上に、アンドロイドが言った、その内容そのものにも驚きを隠せなかった。「シズク様」や「マスター」という言葉が意味するもの。それは、恐らくただの一つしかあり得ないだろう。
「……えっ? な、なに……? お、オレのことを、言っているの……?」
「はい、シズク様。ボクは『BB-01(ビービーゼロワン)』と申します。言い方が面倒なので、これからボクのことは『ビビ』とお呼びください」
そのアンドロイドに、自分に対してマスターと言っているのか、と尋ねると、アンドロイドはその通りと返事をしながら、続けて自分のコードネームを名乗った。やはり、左胸に書かれていたのは、このアンドロイドのコードネームだったのだ。ただ、それでは言い難いだろうということで、さらに続けて自分のことを愛称で読んでほしいとも言った。ビービーを略してビビ。なるほど、これなら確かに分かりやすいし、誰のことを言っているのかも伝わりやすくなる。
『BB-01』がコードネームであるということは、そこにはなにかしら意味が込められているのだろう。『BB』は開発コードのようなもの、そして『01』はその第一号機、という形になるのだろうか。そして、シズクを自分のマスターであると認識したということは、最初からそのようにプログラムが組まれていたか、あるいは最初に目が合った人間をマスターだと認識する、いわゆるインプリンティングに近いプログラムが仕込まれていたかのどちらかになるのだろう。
「そ、そうか……。え、えぇと、ビビ、って言ったっけ……? その、どうして、オレのところに来たのか、教えてくれないかな……?」
ひとまずこのアンドロイドのコードネームが判明したところで、彼は当初から抱いていた疑問をビビにぶつけてみた。何故、自分のところに送られることになったのか。その部分を覆っている暗闇を取り払い、光を照らして正体を明らかにしないことには、今後このビビと名乗るアンドロイドとどのように付き合っていけばよいか、そもそもビビと付き合うことが正しいことなのかの判断ができない。そして、ビビを送ってきたのが本当に彼の父親であるとすれば、そこに父親の思惑も隠されているに違いないからだ。
「申し訳ございません。ボクは、そのことについて、なにも分からないんです」
「えっ? な、なにも、分からない……?」
「はい。ですが、すでにシズク様はボクのマスターとして登録されておりますので、これから、精一杯シズク様にご奉仕させていただきます」
しかし、ビビからの返答は、彼の期待とは全くかけ離れたものだった。ビビはなにも知らない。より正確に言うのであれば、ビビはなにも知らされていないのである。しかし、それもある意味当然かも知れないと、彼はその返答を聞いた時に思った。なにしろ、相手はアンドロイドという「機械」なのだ。機械である以上、あらかじめ組み込まれたプログラムに従って動作することしかできない。彼をマスターだと「登録」している、その言葉こそが、一番の証明だった。
結局、ビビを送り付けたのが本当に彼の父親なのかどうかすらも明らかにすることはできなかった。彼は、今から父親に連絡して、ビビのことについて問い質してやろうかとも考えた。しかし、いくら実の息子とはいえ、長年連絡を交わしてこなかった相手から急に連絡がきたとなっては、さすがに何事かと不安を募らせてしまうかも知れない。その不安が仕事のパフォーマンスに悪い影響を及ぼしてしまっては本末転倒になってしまう。彼は一旦この疑問を先送りにし、まずはビビをどうするかを考えることを優先することにした。
「そうか。でも、オレなんてマスターって言われるほど偉くないし、今だって、薬を飲みながら辛うじて生活できているような状態だし。いつ爆発するかも分からない時限爆弾を抱えているようなオレなんかと一緒にいるのは、多分危ないと思うよ」
ビビをどうするかといっても、彼の中ですでに結論は導き出されていた。自分はこれからも一人で生きていかなければならない。少なくとも、精神安定剤を飲まなくても済むようになるまで、自分は外の社会と不用意に関わるべきではない。父親も、そうした息子の状態を理解しているからこそ、収入の大半を彼の生活費に充てているのだろうし、それが病気に冒された妻になにもしてあげられなかったことに対する、父親なりの贖罪の方法なのかも知れない。
「でしたら、なおさらボクがマスターのおそばで、お世話をさせていただきます」
しかし、ビビの返事はそんな彼の期待からは遠く離れたものだった。彼は自分の精神状態が今でも不安定であり、ビビに対してもどんなことをしてしまうか分からない。彼自身が自分のことを「いつ爆発するかも分からない時限爆弾を抱えている」と表現したのは、彼の生活が常に綱渡りのようなものである、とビビに伝えたかったからだった。そんな危険な綱渡りに、たとえアンドロイドといえども、無関係の相手を巻き込むわけにはいかない。それが彼の偽らざる本心だった。
「えっ? で、でも……」
「ご心配には及びません。ボクはマスターのためでしたら、どんなことでもできます。ですから、これから、ずっとマスターのおそばにいさせてください」
そんな彼の思いを読み取ったかのように、ビビは段ボールの中から全身を出すと、そのまま彼に向かって抱き付いてきた。アンドロイドであるが故に、人間の肌のぬくもりを感じ取ることはできなかった。だが、余計な力を加えることなく彼を抱き締めるビビの姿は、人間以上に人間らしい優しさを醸し出すものだった。この時、彼ははっきりと感じていた。長らく感じることのなかった、誰かに抱き締められることの安心感。心が不安定であるがために、他人と関わることを避け続けてきた。そんな彼にとって、それは確かに「温かい」ものだった。
「……分かったよ、ビビ。それじゃ、よろしく、って言っていいのかな……?」
「ありがとうございます。ボクのマスター、シズク様」
もはや、これ以上反論を重ねようとしたところで、ビビが自分のそばから離れることは、現状においてあり得ないだろう。解けない疑問は今なお彼の心の片隅にくすぶり続けているが、それはいずれ明らかにしていけばよいことである。それに、人生というのは、案外こうしたところから変化の兆しが現れてくるのかも知れない。彼は、ビビという新しいパートナーと共に過ごすこれからの生活を、どうすればより充実したものにすることができるか、その予想もできない未来に思いを馳せるのだった。
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執筆:リュード様