「テムズ! しっかりしろ!」
「う……」
聞きなれた声に目を開けたテムズの前には数日前に行方不明だった姉のアルトがいた。
「姉さん……よかった!」
無事だった!
そう思ったテムズだが、自分の姉の姿を見てその先を言うことができなかった。
身体はアザだらけで、それにあの部屋と同じ臭いが強い。
それだけでなく衣服は剥ぎ取られ、全裸にされていた。
「何があったの」
いや、それは自分も同じだった。
アルトもあの巨人に捕まっていたのだろう。
あの機械はアルトの声を再現していた。
きっと別れてから酷いめに遇わされたのだろう。
「ごめんなさい」
「テムズが謝ることじゃない。気にするな」
「ここからは……逃げられないよね」
「そうだな。無理だろう」
アザこそないが、テムズも服は剥ぎ取られているし、透明な壁はツルツルしていてとても高い。
取っ掛かりもなくて、それに上には蓋までされているのだ。
もう逃げ道はないのだろう。
「巨人は?」
「テムズを捕まえてから部屋を出たがすぐに戻ってくるだろう。ここは奴の住み家だ。逃げても出るのは難しいだろう」
アルトは諦めた声で現状を教えてくれた。
これからどうなるのか……。
「私たちは頑丈な種族だから。そのせいで簡単には死なない」
「そうだけど」
「まぁ、そのせいで苦しい目にあったが、機会はあると思う」
「う、そうだよね」
そのためには今は耐えるしかない。
アルトが口に出さなかった言葉を理解してテムズは頷くのだった。
だが、これからどんな目にあわされるか、テムズは想像することはできなかった。
◆
(テムズ視点ーー)
「あ、起きた?」
暫くして巨人は戻ってきた。
「まさか、こないだ捕まえた小人が姉弟だったなんてねぇ。セットで捕まえちゃったわ♪」
姉さんと似たくらいの年齢だけど、実際の年齢なんてわからない。
僕らと巨人との成長速度は違う。
寿命なら僕らのほうが短いはずだけど、ほとんどが外で鳥やネズミ、猫とかに襲われてしまって高齢の小人なんかほとんどいない。
希に人間に飼われている小人もいるみたいだけど、それは死ぬまでか殺されてしまうかの二択しか解放がないから情報なんか入ってこない。
うまく逃げた小人が極少数いるけど、その噂は地獄だっとかしか聞かない。
そして、僕らの運命は後者なんだろう。
姉さんが苦しめられた目に僕もあわされるのか……。
目の前の巨人を見上げながら、僕の頭を不吉な考えがグルグルと過るのを無視して、巨人は蓋をあけた。
巨大な手が、自分の背丈ほどもある指先が迫ってくる。
「じゃ、弟君には洗礼を浴びせま~す♪」
「ま、まってくれ! テムズは幼いんだ! あんなの耐えられない!」
姉さんの悲痛な声から、その洗礼が厳しいものだとわかった僕はますます恐怖に掻き立てられる。
なにされるの!?
「やるなら私にすればいいだろう!? 頼む、テムズは見逃してくれ」
必死に懇願する姉さんだが、巨大は口の端を緩やかにあげ、目を細めて笑っていた。
圧倒的な優位を確信した残虐な笑顔だ。
「頼み方がなってないわねぇ。まだ『躾』が足りないみたいだし、まとめて洗礼してあげるわ。幸い、場所は二ヶ所あるからねぇ」
「そ、そんな!?」
「アッハッハ! 大事な弟君が生きてるといいわね~! まぁ、死んだらお前の態度が悪かったと後悔することね! ほら、いくわよ!」
姉さんの思いを踏みにじる様に言いはなった巨人は、指を鉤爪の様に曲げ、僕を掬い上げる。
ふわっ、とした無重力を感じたと思ったら、一気に身体が浮き上がり、床が遠くなった。
た、たかっ!
「テムズ!!」
「姉さん!」
必死に手を伸ばすが、巨人の手はすぐに上昇して、姉さんと僕の手は虚しく空を切る。
「そんなことしなくても、二匹まとめて洗礼するから安心なさい」
楽しげな巨人の声に僕は恐怖していた。
だって、絶対に僕らが楽しいことになる気がしないからだ。
「今から塾だからね。深夜までお前達は休めないわよ?」
謎の言葉を囁いた巨人は分厚い紺色の布を握っていた。
よく見かける色と形。
靴下だったかな?
足に履くもので、足と靴をそれぞれ保護するらしい。
らしい、ってのは小人にそんな文化はないからどんなのかはわからない。
でも、そんなのをこのタイミングで握るのはーー。
しかも、摘まむような持ち方でテムズの下方で靴下の履き口が大穴のように口を開けているのだ。
この先どうなるかの想像は簡単だった。
「テムズ! 逃げっ!」
姉さんの悲鳴がとても遠くで聞こえ、
「バイバイ~」
「う、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
僕を捕らえるために曲がっていた指が急に真っ直ぐになり、そのまま支えを失った僕は真っ逆さまに靴下の中へと吸い込まれた。
ズルズルシュルシュル!
布の斜面を転がった僕はそのまま止まるまで回転しながら落ちていく。
靴下だからよかったが、床だったら凄まじい激痛だっただろう。
そのまま転がった僕は分厚い靴下の先端――爪先まで転がり落ちた。
厚手の紺色のソックスは光を通さず、当たりは真っ暗だ。
何もみえない。
回る視界が徐々に治まり始めた僕はなんとか起き上がろうとするが、グニグニと形を変える周囲では立つのも難しい。
踏んだろうとしても足場が形が変わるからだ。
高いところの布を掴もうとしても、掴んだ瞬間、ぬるりとした水が染みだしてなかなか掴めない。
水といっても清潔なものではない。
巨人の汗――それも足の汗だ。
正直あまり触りたくない。
それに、周囲は大雨の後みたいに湿気ていて、こもった熱気は真夏の日光よりも暑い。
身体中にまとわりつく熱気は凄まじい不快感だった。
そして、何よりテムズを苦しめたのが――。
「うぉぇ! げほ! げほ! おぇ!」
鼻で呼吸した瞬間、痛みすら錯覚させる激臭が肺の奥まで流れてきた。
(くっさいぃぃぃぃぃ!)
鼻が痛みを訴えるほどの臭いは、この巨人特有のものなのか?
それとも、女の巨人はみんなこんな臭いのか!?
でも、あの巨大な部屋で漂っていた悪臭の原因がわかった。
この人間達――巨大の足の臭いが染み付いた靴の臭いだったのだ。
(うぅぅぅぅ、くさいよぉ)
口で呼吸すると、苦いようなしょっぱい様な味までしているように思えてくる。
こんなところに長時間いたら頭が変になりそうだ。
テムズは逃げようと落ちてきたルートを辿るべく行動を開始する。
しかし、這うようしか進めないテムズは至近距離でその臭いつきの空気を吸わされていた。
「涙が……」
もしかしたら、この空気は毒なのかもしれない。
目がチカチカしたきた。
(うっうっっっ)
なんども吐きそうになりながら、爪先から踵までのぼったテムズ。
だが、その努力を巨人はあっさりと踏みにじる。
「ん~? なに登ってるのかしら? ここに入れられるのが洗礼とでも思ったの? 本当の洗礼はここからよ? ほら、お前の大事な姉とお揃いにしたあげるわ!」
巨大の声が響いたと思うと掴んでいた靴下が激しく揺れた。
「うわだっっっっっ!?」
反射的に布を握りしめたテムズだが、滲み出た足汗がヌメリ、手からすり抜けてしまう。
「わぁぁぁ!」
激しい振動と重力でテムズは再び爪先に落ちるのだった。
しかも、それだけではない。
ズ、ズ、ズ、ズズズズズ!!
「ま、ま、まさか……」
大きな波のような揺れと共に斜め上から柱の様な影が迫ってきた。
いや、柱じゃない。
(あの巨大の爪先!?)
「ほ~ら、ちっぽけなお前は今から私の中敷きにされるのよ? 自分のちっぽけさを噛みしめ……いえ、踏み潰されながら理解するのね♪」
高笑いとともに迫る爪先。
五本の指はまるで五つの頭をもった怪物の様で、小指すらテムズの顔ほどもある。
「や、や、や、やだ!?」
それらは凄まじい速度で迫り、テムズは押し潰されまいと爪先の先端を必死に押すが分厚い布はびくともしない。
そのまま五本の指は生け贄に喜ぶように蠢くと、一瞬大きく反り返り、テムズを上から押し潰した。
さながら、獲物を捕らえた肉食獣の様に――。
「フフフ、弟君も私の指の間にすっぽり収まっちゃったわね。姉弟で左右ぴったり🖤 きっと、私に踏まれるためにお前達は生きていたのね♪」
僕らの今までの生活すら踏みにじり、嘲笑う巨大。
「うぐっっっっ!」
だが、その言葉通り、テムズは身動き一つとれなかった。
五本の指の隙間に捕らえられたテムズの前には親指があった。
そのシワの一つまではっきりみえる距離で、凄まじい熱気と重圧感がテムズを襲う。
それに何よりも。
「うぅぐぅ!」
息が――。
今までとは比較にならない。
あの激臭の原因が目の前にあるのだ。
ヌルついた汗が後方から染みだし、さらに足自体からも汗が出てくる。
足汗に溺れさせられる惨めな状態に、テムズは涙が出た。
さきほどの目に染みるのとは違う悲しさで……だ。
だが、巨人にそんなものは関係ないのだろう。
いや、泣いていることすら気づかない。
巨人の言葉通り、今の僕は中敷き程度の認識しかないのだろう。
「じゃ、塾にいきますか~。ウフフ、せいぜい私の足に潰されないように耐えるのね。あ、お腹が減ったり、喉が乾いたら、私のきったなくて、くっさい足の垢と汗で生き延びてね♪ ちなみに、片方が死んでたら、もう片方も殺しちゃうぞ♪」
「!!」
姉さんまで……。
このおぞましい環境にいるのは僕だけじゃないなんて!
しかも、もし生き延びられなければ姉さんが……。
僕は絶望してこのまま死にたいと思っていたが、それすら許されない巨人
はまさに小人の天敵だった、とはっきりと理解したのだった。