「おむつぐみ」(73)
Added 2020-05-23 08:54:39 +0000 UTC「――それではただいまより、令和*年度、特別入学式を開始したいと思います」 幼稚園の体育館に、園長である稲村喜久子の声が響く。 フローリング張りの体育館の中心には、舞台から入り口まで真っ直ぐにクリーム色のカーペットが敷かれ、舞台へと階段が掛けられていた。 カーペットの左右には、年少組から年長組まで、合わせて120人ほどの園児が舞台を見上げるように立っている。大きな丸襟のブラウスに、明るい水色のイートンブレザーと吊りスカート、赤のリボンが可愛らしい制服を着た少女たちは落ち着いた様子で、幼いながらにさすが名門私立校のお嬢様たちだった。 むしろ、いちばん落ち着きがないのは―― (う、うわぁ、あんなにたくさん、幼稚園児たちがいる……) (これからあの子たち――ううん、あの「お姉ちゃんたち」の前に、出なくちゃいけないんだ……) (高校生だったぼくが、この、制服で――) 体育館の入り口近くで入場の時を待ちながら、和実はもじもじとミトンに包まれた手を揉みしだき、膝頭をこすり合わせる。 (うう、いくら覚悟してても、やっぱり、恥ずかしすぎる……!) 本当は15歳、この春高校に上がったばかりの少年――普通の幼稚園女児制服であったとしても恥ずかしいのに、特別クラスの「おむつ組」である。 ダブルボタンのイートンジャケットは園児たちと同じ水色だったが、リボンはいっそう少女らしいピンク色。ボトムスはスカートの代わりに、淡い黄色のギンガムチェックがヒヨコのように幼い印象の吊りブルマー。その下にはパンパンに膨らむまでおむつを当て、お尻のふりふりがいっそう可愛らしさを強調する。 太腿から膝までは丸出しで、足元はレースの付いたショートソックスに、入学式らしいピンクの、リボンつきストラップシューズを履いていた。 頭は赤ちゃんのように剃りあげて、前の一房だけをちょこんと残し、通園帽子にも似た黄色のベビーボンネットをかぶっている。口にはリボンのおしゃぶり、両手にも袋状のミトンと、もはや幼稚園児というより赤ちゃんである。ブルマーやおむつばかりではなく髪型や小物すらも、年少組よりさらに下の「おむつ組」にふさわしかった。 とどめに――おむつの前、股間につけた、青い名札。左右に大きな耳、下側から鼻が伸びたゾウさんの顔の形というだけでも、その下に生えている少年の証を暗示して恥ずかしいのに、中に入っているのは彼が高等部に在籍していた時の学生証。元高校生であることも、男子であることも隠してくれない名札に、悪意すら感じるほどだった。 いくら一週間の間、赤ちゃん生活を送って少しはおむつやベビー服に慣れた和実とはいえ、この格好でリアル幼稚園児たちの前に出る羞恥を想像すると、足も陰嚢も竦みあがる。 しかし―― 「そろそろよ、みーたん」 すぐそばについている保育士、水無瀬先生の言葉に、ハッと顔を上げた時だった。 「続いて、新入生入場です。在園生のみなさんは、拍手でお出迎え下さい」 司会進行の女性保育士の声とともに、体育館から大きな拍手が上がる。 (ああ、いよいよ――) 緊張に表情を硬くして、ゴクリと喉を鳴らす和実に、 「大丈夫よ、みーたん。今度は緊張しておもらししても、おむつを穿いてるから、ね?」 「ん……うん……」 この上なく情けない励ましを受け、和実はいよいよ体育館へ入ってゆく。 両手を床につき。 下半身を引きずるようにして。 「おむつ組」の園児らしく、赤ちゃんのようにハイハイしながら。 「んっ、んっ……」 両手の腕力と、お尻を振る動きだけで、前へ進んでゆく。これまた、入園までの間に何度も練習したものだ。お尻を左右に振りながら膝を前に出すことで、上手にハイハイすることができる――ただしその分、ブルマーのお尻についているフリルが大きく揺れて、いっそう赤ちゃんじみたことになってしまっていたが。 しかもその大勢だと、とうぜん左右に立っている幼稚園児たちを見上げることになる。 (ぼくのほうがずっと年上で、背も高いはずなのに――まるで本当に、幼稚園のみんなより年下になっちゃったみたいだ……) おしゃぶりをかみしめながら、ようやく幼稚園児たちの最後列の前に出る。途端に、 「わぁっ……!」 「可愛い~!」 「お尻、ふりふり~!」 少女たちの声と視線に、和実は思わずハイハイの手が止まる。 (や、やっぱり、恥ずかしいよ、これ……!) しかもその声は、今まで大人しく前を向いていた前方の少女たちの注目をももたらした。園児たち全員が和実を振り返って見おろし、 「きゃあっ、赤ちゃんみたい!」 「ほんとにおにーちゃんなのぉ?」 「うぅっ……」 少女たちの反応に、和実は恥ずかしさのあまり、前に進むこともできなくなってしまう。 するとその後ろから、 「ほらほら、ハイハイを続けないとダメでしょ、みーたん」 水無瀬貴子が笑って促し、続いて園児たちに向かって声を張る。 「はーい、みんな。新入生のみーたんが、頑張ってハイハイして、入場してるわ。みーたんがんばれーって、応援してあげてちょうだーい!」 彼女の言葉に、驚き戸惑っていた園児たちもすぐに反応して、 「はーい!」 「みーたん、がんばれー!」 「ハイハイ、がんばってー!」 「がんばれー、がんばれー!」 そんな少女たちの励ましに―― (恥ずかしいけど……こんなに応援してもらってるなら、頑張らなくちゃ……!) 和実は彼女たちに向かって肯くと、精いっぱいの力でハイハイを続けるのだった。 (続く)